「大日本帝国 (映画)」の版間の差分
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== 評価 ==
脚本の[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]によると、右派の作曲家[[黛敏郎]]は「非常に巧みに作られた左翼映画」と評し、左派の映画監督[[山本薩夫]]は「非常にうまく作られた右翼映画」と評したとのこと。
その原因の一つは、戦犯として処刑される兵士(篠田三郎)の吐く「天皇陛下、'''お先に'''参ります」という台詞だった。山本薩夫はこれを天皇への忠節と解釈し、一方では「天皇も戦争の責任を取ってあの世へ来い」という天皇批判という解釈もあり、どちらか判断しづらいと公開当時問題になった。脚本の笠原自身は天皇批判の意図であり、直接天皇批判を盛り込むのは東映が難色を示すため、間接的な表現で巧妙に仕込んだものだったという。監督の舛田利雄も、直後の新井美代(関根恵子)の「天皇陛下も戦争に行くのかしら」という台詞と合わせ、笠原には一貫した天皇制批判の意図があったことを証言している<ref name="masuda">『映画監督 舛田利雄』p331 - 333</ref>。舛田自身も終戦当時天皇は戦犯になるもの思っており、「兵士がそのような形で死んでいったのに、[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]の政策的意図で生かされた[[昭和天皇]]は気の毒な方」「天皇陛下の名の下に、みんな戦争にかり出されて、死んだら白木の箱に入って[[靖国神社]]に祀られる。そのシステムの中で庶民はどう生きたか、どういう思いで亡くなったのか、ということが僕や笠原としてはある」と述べている<ref name="masuda"/>。
「[[二百三高地]]」同様、[[日本共産党]]の機関紙・「赤旗(現・[[しんぶん赤旗]])」からは「戦争賛美映画」「軍国主義賛美映画」「[[右翼]]映画である」と批判されている。
[[評論家]]の[[佐藤忠男]]は、戦争指導者に同情的なことや、日本の戦争責任の描き方に批判的な論調であるが、太平洋戦争を全面的には美化せず、戦死者を無駄死にと描いており、日本人の自己憐憫の映画だと指摘している<ref>佐藤忠男『日本映画史 第3巻』[[岩波書店]]、1995年、p147-p148</ref>。[[四方田犬彦]]は[[スタジオシステム]]が崩壊しつつあった中で観客を大量動員するための企画の1本で、内容的には軍事強国だった日本への[[ノスタルジー]]をかきたてるものだと、日本映画史の中で位置付けている<ref>四方田犬彦『日本映画史100年』[[集英社新書]]、2000年、p203</ref>。
== その他 ==
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