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'''興隆窪文化'''(こうりゅうわ-ぶんか)は[[中華人民共和国]][[内モンゴル自治区]]から[[遼寧省]]にかけて[[紀元前6200年]]頃-[[紀元前5400年]]頃に存在した[[新石器時代]]。[[紅山文化]]に先行する[[遼河]]流域の文明([[遼河文明]])のひとつとされる。
興隆窪文化は、[[ヒスイ]]などの玉製品(玦 : けつ)の出土する文化としては中国最古のものであり、なおかつ'''[[龍]]'''の出現する文化としても中国最古のものである。また興隆窪文化の遺跡からは平底円筒状の、比較的低い温度で焼いた[[土器]]([[陶器]])が出土する<ref>類似する平底円筒型土器が[[朝鮮半島]]北部から[[アムール川]]流域、ロシア[[沿海地方]]にかけての広範囲で[[紀元前6千年紀]]頃から[[紀元前2千年紀]]ごろまでの間に発見されているほか、同様の土器が[[縄文時代]]の日本の[[東北地方]]・[[北海道]]からも発見されている。</ref>。[[黄河文明]]のほかに、先史中国の新石器文化が南の[[長江]]流域および北の[[遼河]]から発見されているが、興隆窪文化は遼河流域の文化の一つとして重要である。
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