削除された内容 追加された内容
日本の三六軌間: 新規路線の追加
5行目:
== 概要 ==
[[ファイル:CombinedTrack.jpg|thumb|250px|none|[[標準軌]](青)と'''狭軌'''(赤)の幅の比較]]
元々「狭軌」はより広い軌間に対する相対的な言い方であり、現在「[[標準軌]]」と呼ばれる4 ft{{分数|8|1|2}} in(1,435 mm)軌間も、[[イギリス]]で[[1846年]]に勅裁された「鉄道のゲージ規制に関する法律」ができる前は、2 m以上ある[[イザムバード・キングダム・ブルネル|ブルネル]]の軌間に比べて狭く「標準」ではなかったため、法律が適用される以前はもちろん、適用後の[[1850年代]]頃までは狭軌と呼ばれていた。[[1870年]]頃においても、現在の標準軌を狭軌と呼ぶことが残っていたと言われる<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.70・117]]</ref>。
 
現在でも旧[[イギリス帝国|大英帝国]]領([[植民地]])等の3 ft6 in(1,067 mm)軌間を使用する地域では、その地域でこれよりも広い軌間が存在しないため、これを狭軌と呼ばずに標準軌と呼ぶことがある。これは1,000 mm軌間(メーターゲージ)についても同様である。このような事情により、今日では「1,000 mm未満は確実に狭軌」とみなされているが、これ以上は状況によっては狭軌に入れない場合もある<ref>[[#ウェストウッド2010|(ウェストウッド2010) p.288-290「狭軌鉄道」]]</ref>。
 
=== 日本国内での呼び方 ===
日本の場合、かつての[[日本国有鉄道]](国鉄)の軌間は1,067 mmが標準であったためこれを「狭軌」と呼ぶことは少なく、[[新幹線]]やいくつかの[[私鉄]]で使用されている1,435 mm軌間(標準軌)の方を誤って「広軌」と呼ぶ人が多かったという<ref name='nipponica'>小学館『日本大百科全書』(ニッポニカ)「鉄道」</ref><ref group="注">「弾丸鉄道計画」など</ref>。国鉄の中で買収・国有化路線の中に存在した762 mm軌間の路線([[ナローゲージ]])については'''[[#日本の特殊狭軌線|特殊狭軌線]]'''と呼称され、同じく日本の私鉄でも、[[三岐鉄道北勢線]]や[[四日市あすなろう鉄道]]などの現存する該当路線に対して、同様の呼び方をする。
 
なお、特殊狭軌線と[[軽便鉄道]]は混同されやすいが、特殊狭軌線は軌間が762 mmの線路を意味し、[[軽便鉄道法]]に従って敷設された鉄道という意味である。軽便鉄道法もまた軌間を762 mm以上と定めているため、軽便鉄道の大半は特殊狭軌線ではあるが、[[西大寺鉄道]](914 mm)や[[播電鉄道|新宮軽便鉄道]](1,435 mm)などの例もあり、必ずしも一致するものではない。
23行目:
[[Image:DeReMetallicaShaft.jpg|thumb|right|upright|alt=Woodcut of a mine with three shafts|''De re metallica''の木版画より。鉱山内に人力の鉄道が描かれている]]
[[Image:Waldenburgerbahn.jpg|thumb|alt=Red-and-white electric train outdoors|750 mm軌間の鉄道であるヴァルデンブルク鉄道バッド・ブベンドルフ駅に停車中の列車]]
初めて記録された鉄道は、[[ゲオルク・アグリーコラ]]の1556年作 「[[:en:De re metallica|デ・レ・メタリカ]]」(日本語で「金属について」)に登場している。この書籍に登場する鉄道は、[[ボヘミア]]の鉱山にあり、軌間は約2[[フィート]](約610mm)であった。16世紀、鉄道は主にヨーロッパ中の鉱山で手押しされた狭軌の線路に限られていた。17世紀、[[鉱山鉄道]]は地上への輸送を提供するために拡張された。これらの路線は鉱山を近くの輸送ポイント(通常は運河または他の水路)に接続する工業用であった。これらの鉄道は通常、開発元の鉱山鉄道と同じ軌間で建設された<ref name="WHITESNELL">{{cite book |title=Narrow Gauge Railways of the British Isles |author1=Whitehouse, Patrick |author2=Snell, John B.|year=1984 |isbn=0-7153-0196-9}}</ref>。
 
=== 蒸気機関車の導入 ===
1802年に[[リチャード・トレビシック]]によってコールブルックデールカンパニーのため製造された世界初の蒸気機関車は、[[3フィート軌間|914mm軌間]]の[[:en:Plateway|プレートウェイ]]を走行した。商業的に初めての蒸気機関車は、1812年に製造された[[マシュー・マレー]]の{{仮リンク|サラマンカ (機関車)|label=サラマンカ|en|Salamanca (locomotive)}}で、[[リーズ]]にあるミドルトン鉄道(軌間1245 mm)で利用された。サラマンカは初めての[[ラック式鉄道]]の機関車でもあった。1820年代と1830年代、イギリスの多くの産業向けの狭軌鉄道が蒸気機関車を使用していた。1842年、イギリス国外で初めての狭軌の蒸気機関車が[[ベルギー]]にあるアントワープ - ゲント鉄道<ref>{{cite web|url=http://rixke.tassignon.be/spip.php?article1224&lang=fr|title=Rixke Rail's Archives|accessdate=2020-06-13}}</ref>(軌間1100 mm)で製造された。旅客輸送用の狭軌鉄道で蒸気機関車が初めて使用されたのは1865年で、[[フェスティニオグ鉄道]]が、旅客輸送のために導入した<ref name=QUI>{{Cite web |author= Quine, Dan|authorlink= |coauthors= |year= 2013|url= http://www.festinioglocos.com/|title= The George England locomotives of the Ffestiniog Railway|format= |doi= |work= |publisher= |page= |pages= |language= en|archiveurl= |archivedate= |accessdate= 2020-06-13|quote= |ref=}}</ref>。
 
=== 工業のための狭軌の鉄道 ===
32行目:
 
=== 内燃機関車の導入 ===
狭軌の機関車の動力に内燃機関を初めて使用したのは1902年であった。{{仮リンク|フランシス・クロード・ブレイク|en|Francis Claude Blake}}は、[[イギリス]]の[[ロンドン]][[リッチモンド・アポン・テムズ区]]{{仮リンク|モートレイク|en|Mortlake}}にあるリッチモンドメイン下水道委員会の下水プラント用に7馬力のガソリン機関車を製造した。この機関車の軌間は838 mmであり、3気筒ガソリンエンジンを搭載していた<ref>{{cite journal |journal=Industrial Railway Record |number=236 |date=March 2019 |first=Dan |last=Quine |authorlink=Dan Quine |title=F.C. Blake and the Mortlake Tramways |publisher=the Industrial Railway Society}}</ref>。
 
=== 第一次世界大戦以降 ===
50行目:
狭軌の鉄道は、鉄道車両(客車など)を標準軌または広軌の鉄道にそのまま乗り入れることはできない。また、旅客と貨物の移動には、旅客の乗り換えや、貨物の積み替えが必要となる<ref>{{cite book |url=https://books.google.com/books?id=8OVGAQAAMAAJ&pg=RA1-PA200 |title=Irish Railways including Light Railways (Vice-Regal Commission |date=1908 |volume=XLVII |page=200 |publisher=House of Commons |location=London)}}</ref>。石炭、鉱石、砂利などの一部のバルク商品は機械的に積み替えることができるが、この方法だと時間がかかり、積み替えに必要な設備の維持に手間がかかる。
 
鉄道網内に異なる軌間がある場合、ピーク需要時に異なる軌間の区域を超えて車両を移動させることができないので、必要な場所に車両を移動することは困難となる。狭軌の鉄道のピーク需要を満たすために十分な車両が利用可能である必要があり、需要が少ない期間には余剰設備となりキャッシュフローを生成しない。狭軌が鉄道網のごく一部を形成している地域では(かつての[[ロシア]]のサハリン地方の鉄道のように)、狭軌の設備の設計、製造、または輸入には追加の費用が必要となる。
 
互換性の問題に対する解決策には、輪軸あるいは台車の交換、[[ロールボック]]、[[軌間可変]]、[[三線軌条|デュアルゲージ]]、または[[改軌]]がある。
66行目:
狭軌では安定性が低下することは、その列車が広軌と同じくらいの速度で走ることができないことを意味する。たとえば、標準軌の線路のカーブが時速145 kmまで走行できる場合、狭軌の同じカーブは時速130 kmまでの速度しか走行できない<ref>{{cite web|url=https://www.doro-chiba.org/nikkan_dc/n2005_07_12/n6145.htm|title=車両軽量化・ボルスタレス台車と尼崎事故 №3|website=www.doro-chiba.org|publisher= 日刊 動労千葉|date=2005-08-11|accessdate=2020-06-13}}</ref>。
 
ただし、19世紀半ば(1865年)の時点でも[[ノルウェー]]の1067㎜軌間で最高時速56㎞ほど(標準軌のイギリスでも当時のローカル線はこの程度)の走行が可能であると分かっており<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、p.146。</ref>、さらに狭軌でも20世紀前半では[[朝鮮鉄道]]の[[黄海線]](762㎜軌間)で1935年から最高時速70kmの列車を走らせている<ref>宮田寛之「762mm軌間では世界最大級のミカド形とプレーリー形テンダー機関車(その2)」『鉄道模型趣味2021年2月号(No.949・雑誌コード06455-02)』、株式会社機芸出版社、2021年2月、p.60 。</ref> など、蒸気機関車時代でもこれより広軌のローカル路線と比べてもそこまで変わらないケースもあった。
 
日本と[[オーストラリア]][[クイーンズランド州]]では、最近の路線改良により、軌間1067mmの線路で、時速160 kmを超えることができた。クイーンズランド鉄道の車体傾斜式電車は、オーストラリアで最速の電車であり、世界最速の1067 mm軌間の列車で、時速210 kmの記録を樹立した<ref>{{Cite web |author= クイーンズランド鉄道|authorlink= |coauthors= |year= 2013|url= http://www.corporate.qr.com.au/Images/QR_Annual_Report_tcm15-2468.pdf|title= Annual Report(1998-1999)|format= pdf|doi= |work= |publisher= |page= |pages= |language= en|archiveurl= https://web.archive.org/web/20090930024735/http://www.corporate.qr.com.au/Images/QR_Annual_Report_tcm15-2468.pdf|archivedate= 2009-09-30|accessdate= 2020-06-13|quote= |ref=}}</ref>。1067 mm軌間の線路での速度記録は、1978年に[[南アフリカ共和国]]で記録された時速245 kmである<ref>{{Cite web |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= |url= http://www.speedrecordclub.com/outrail.php|title= Speed Record Club|format= |doi= |work= |publisher= Speed Record Club|page= |pages= |language= |archiveurl= https://web.archive.org/web/20120211074300/http://www.speedrecordclub.com/outrail.php|archivedate= 2012-02-11|accessdate= 2020-06-13|quote= |ref=}}</ref><ref>{{Cite web |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= |url= http://home.intekom.com/bluegrass/sites/steamsa/historical11.html|title=Class 5E/6E Electric|format= |doi= |work= |publisher= |page= |pages= |language= |archiveurl= https://web.archive.org/web/20080615020009/http://home.intekom.com/bluegrass/sites/steamsa/historical11.html|archivedate= 2008-06-15|accessdate= 2008-06-15|quote= |ref=}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.traintesting.com/SAR.htm |title=Pantograph testing in South Africa |publisher=Traintesting.com |date= |accessdate=2020-06-13}}</ref>。
 
設計速度が時速137 kmの610 mm軌間の鉄道車両が、{{仮リンク|オタヴィ鉱山鉄道会社|en|Otavi Mining and Railway Company}}のために製造された<ref>{{cite book|title=Little Railways of the World |author=Shaw, Frederic J.|publisher=Howell-North |year=1958}}</ref>。
91行目:
 
=== 採用国の傾向 ===
[[イギリス]]から鉄道技術を導入した国々(日本も含む)では1067mmが主に用いられ、[[フランス]]などのヨーロッパ大陸諸国の影響下の国では1000mmが、[[アメリカ合衆国]]の影響下にあった国では914mmが用いられる傾向にある。
 
なお、営業用として運行される鉄道で最も狭いゲージは381mm(15インチ)で、イギリスの[[ロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道]]が有名である。日本の[[静岡県]][[伊豆市]]修善寺にある[[修善寺虹の郷|虹の郷]]には、この鉄道と同規格の車両による園内路線が敷設・運行されている。
99行目:
914&nbsp;mm(3フィート)は[[アメリカ大陸]]でよく見られる軌間で、「American Narrow アメリカンナロー」とも呼ばれる。
 
日本では、[[北陸地方]]や[[九州|九州地方]]などで見られた。後に[[両備バス]]となった[[岡山県]][[西大寺鉄道]]が廃止されて以来、普通鉄道・軌道としては日本に存在しないが、[[青森県]]の[[道の駅みんまや#青函トンネル記念館|青函トンネル記念館]]にある[[ケーブルカー]]の[[青函トンネル竜飛斜坑線]]で営業用として使用されている。[[東京ディズニーランド]]にかつて存在した[[路面電車]]のアトラクションである「[[ジョリートロリー]]」やかつて存在したテーマパーク「[[ウェスタン村]]」の村内鉄道アトラクション「ウェスタン村鉄道」でも使用されていた。
 
== 1067mm(3フィート6インチ・「三六軌間」) ==
{{main|3フィート6インチ軌間}}
[[イギリス帝国]]の植民地で広く用いられたことから「British imperial gauge(イギリス帝国軌間)」という呼称も存在した。特に[[ケープ植民地]](後の[[南アフリカ共和国|南アフリカ]])で用いられたことから「Cape gauge」と呼ばれるほか、この軌間を最初に用いたノルウェー人[[カール・アブラハム・ピル]]のイニシャルにちなんで「CAP gauge」あるいは「Kapspur」(ドイツ語:CがKに書き換えられている)とも呼ばれる。
 
後述するように、日本で多く用いられている軌間はこの1067mm、3フィート6インチである。日本国内では「三六軌間」と呼ばれている(「三六」は3フィート6インチから)。→[[#日本の三六軌間]]
128行目:
** [[ガーナ]]
* オセアニア
** [[オーストラリア]]
*** [[クイーンズランド州]]
*** [[西オーストラリア州]]
185行目:
前者は標準軌であるイギリス本土においても、1860年代後半から1870年代初頭にかけて新規路線に限らず既存路線も狭軌化した方が経済的<ref group="注">既存の客車や貨車は大きすぎて重量過多なため小型化した方がよく、技術革新によって狭軌でもこれに十分な機関車は製造できるようになっていた。</ref>という説が提唱されており、[[関節式機関車#フェアリー式|フェアリー式関節式機関車]]の開発者であるロバート・フランシス・フェアリーは1870年9月の英国学術協会の会合で「西海岸本線のLNWRの路線を4ft8in軌間から3ft軌間にしても同じ貨物輸送が可能で車両を小型化できる分コストは半分に抑えられる。」という説を上げている<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.142-144]]</ref>。
 
後者についても、日本の路線は急曲線・急勾配どころかむしろ緩やかで、1929年(昭和4年)の線路等級制定以前は本線は一律半径300 m以上・勾配は25 ‰以下<ref group="注">国有鉄道建設規定(大正十年十月十四日)には、第十三条「本線における曲線の最小半径は三百メートル以上たることを要す」、同じく第十四条「本線路における勾配は千分の二十五より急ならざることを要す」とある。([https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954877/1l 『官報1921年10月14日』P.2])国立国会図書館デジタルコレクションより</ref>(等級制定後の甲線と同じ)であり、同じ軌間のノルウェーと南アフリカの最小半径が150 mと100 mだが、日本の場合はこれはのちに制定された線路等級で認められた一番程度が低い簡易線(本線半径160 m以上)以下になる<ref group="注">『蒸気機関車200年史』P148では「簡易線の最小半径が300m」とあるが「甲線」の誤記か直径と半径の誤りと判断。</ref>。また、当初導入された機関車も[[ノルウェー]]・[[クイーンズランド]](オーストラリア)・[[ニュージーランド]]・[[インド]]の3ft6in軌間の路線では動輪直径が3ftほどなのに対し、日本は4ftから4ft6inと大きく(機関車自体も大きい)、先従輪が付いていても固定でホイールベースが長いことからも急曲線通過のために狭軌採用ではないことが読み取れる<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.148]]</ref>。
 
もっとも、以上の数値は鉄道需要が先進国を上回るようになり設定された数値である。鉄道導入当初は曲線の最小半径は最小160mとし一般的には 300mも限度が目安とされ<ref name="鉄道技術発達史 第2篇P.30">鉄道技術発達史 第2篇P.30</ref>、明治33年の建設規程では本線の最小曲線半径は200m、分岐附帯では本線路が120m、その他が60mである<ref>鉄道技術発達史 第1篇P.65</ref>。勾配に関しては勾配は25‰を目標として最急 40‰までが認められていた<ref name="鉄道技術発達史 第2篇P.30"/>。9600形やD51を運用していた根室本線旧線では半径225.31m、181.05m、181.05m、最小179.04mの連続カーブが1966年の新線開業まで残っていた。<ref>[http://www.karikachi.org/heritage/ NOP法人「旧狩勝線を楽しむ会」旧狩勝線の近代化遺産]</ref><ref>[http://ecotorocco.jp/railhistory/largecurve1/ 狩勝高原エコトロッコ鉄道」根室本線旧線 大カーブ(狩勝信号場~新内駅間)その1]</ref>
263行目:
 
* 普通鉄道線
** [[四日市あすなろう鉄道内部・八王子線]] (762&nbsp;mm、[[2015年]][[4月1日]]に[[近畿日本鉄道]]から移管)
** [[三岐鉄道北勢線]](762&nbsp;mm、[[2003年]][[4月1日]]に近畿日本鉄道から移管)
** [[黒部峡谷鉄道本線]] (762&nbsp;mm)