カナダの映画
この項目ではカナダの映画産業・映画史について述べる。
歴史
初期
カナダで初めての映画監督はJames Freerと考えられている。マニトバ州の農夫だった彼は1897年にドキュメンタリー映画を製作、その作品はカナダへの移住を促進する目的で、イングランドでも上映された。
国際的なプロダクションと配給
ほとんどのカナダ映画やテレビ番組は、北米市場をターゲットにしている。トロント、モントリオール、バンクーバーが製作の中心地となっている。特にバンクーバーは、ロサンゼルスに次いで北米で2番目に大きな映像作品の生産地である。
アライアンス・アトランティックスはカナダで最も大きなメディア企業の一つであり、アメリカやその他の国の映画配給を手がけている。2003年秋、アライアンス・アトランティックスは映画製作を中止し、テレビ製作に力を注ぐことになった。近年はLions Gate Entertainmentが最大手の配給会社である。また、映画プロダクションのカナダ国立映画制作庁( NationalFilm Board of Canada)は、アニメ映画やドキュメンタリー映画の製作で国際的に有名である。
国内でのプロダクションと配給
他のカナダの文化的産業と同じく、カナダの英語圏で作られる映画はアメリカ映画との厳しい競争を強いられている。マーケティング費用やアメリカがコントロールする配給ネットワークの影響で、アメリカ映画と同じ規模でカナダ映画をヒットさせることは非常に難しい状況になっている。事実、多くの都市ではカナダ映画を上映していないため、映画ファンは選ぶことが出来ない状況である。そのため、カナダ映画は $1 million に達しない興行収入でもヒットしたとみなされる。
一方、フランス語圏で製作されるカナダ映画は、世界のフランス語圏で成功している。著名な映画監督には『みなさん、さようなら』でアカデミー外国語映画賞を受賞したドゥニ・アルカンがいる。近年、カナダで商業的に成功を収めた映画の多くは、ケベック州で製作されたフランス語の作品である。
また、カナダは移民の国でもあるため、アルメニア系のアトム・エゴヤンのように自らのルーツに取材した作品を制作する監督もいる(2002年、『アララトの聖母』)。このほか、英語・フランス語以外の言語の映画も制作されている。ヒンディー語のカナダ映画『ウォーター』(2005年、en:Water (2005 film))は、第79回アカデミー賞にて外国語映画賞にノミネートされた。この映画は、1973年にインドからカナダに移住したディーパ・メータ監督によるエレメント三部作の第3作である。
カナダの映画史上で最も興行収入を上げた作品は『ポーキーズ』である。2006年の『Bon Cop, Bad Cop』は『ポーキーズ』より収入を上げたといわれていたが、この評価は物価の高騰を考慮に入れていないため、現在でも『ポーキーズ』がトップだと考えられている。
カナダでは映画製作の費用をまかなうのが難しい場合もあり、多くの製作会社は政府母体の機関であるテレフィルム・カナダ (Telefilm Canada)やCBCテレビジョン (CBC Television)から資金提供を受けることもある。また、カナダでは多くの著名な映画祭が開催されており、そういった映画祭は国際的なマーケットや観客を集める機会となっている。その1つのトロント国際映画祭は、ハリウッド映画の紹介やカナダをはじめ世界中の映画が集まり、北米で最も重要な映画祭の1つとされている。トロント国際映画祭よりも規模の小さいバンクーバー国際映画祭やモントリオールで開かれる映画祭、サドバリー (Cinéfest)、ハリファックス (アトランティック・フィルム・フェスティバル Atlantic Film Festival)などがあり、カナダの映画製作者たちにとって作品を広く発表する機会となっている。
カナダ映画の問題点
カナダ映画が高い評価を得、National Film Boardがアニメやドキュメンタリーの分野で多くのアカデミー賞を受賞しているにもかかわらず、ほとんどの作品が制作費を回収できない事態になっている。この現象はカナダではほとんどジョークのように受け取られており、例えばコメディ番組"This Hour Has 22 Minutes"には、アトム・エゴヤンに似た映画監督が登場する。その監督の作品は沢山の世界的な賞を受賞しているにもかかわらず、一度も劇場公開されたことがない。実際の例で言うと、2002年のコメディ映画『裸の石を持つ男』はカナダ国内で1,000,000カナダドルを売り上げ、カナダ映画としては高収益を上げたが、実際の所、制作費は7,000,000カナダドルもかかっている。
カナダよりも人口の少ないオーストラリアと比べてみるとオーストラリアでは国内収益のみで制作費を回収することができており、その違いは顕著である。例えば、1979年の『マッドマックス』は当時無名俳優であったメル・ギブソン主演で、制作費は350,000オーストラリアドルであったが、5.6億オーストラリアドルもの国内収益を上げた。
多くのカナダ人はトロントやバンクーバー、モントリオールよりも、映画産業の中心地であるハリウッドでキャリアをスタートさせている。再びオーストラリア映画界と比べると、多くのオーストラリア人俳優や監督達は、アメリカに移る前に母国で成功を収めている。先述のメル・ギブソンをはじめ、ニコール・キッドマン、ヒューゴ・ウィーヴィング、ガイ・ピアース、ヒュー・ジャックマンなどは、アメリカで活躍する以前に、オーストラリアですでに成功を収めていた。
オーストラリアがカナダよりも小規模なマーケットしか持っていないことを考えると、カナダ映画業界が抱える問題を説明することは難しい。更に、カナダの音楽業界が大変好調で、多くのスターを生み出しているという事実もある。以下にあげるいくつかの事柄は、なぜカナダ映画がなかなか商業的にヒットしないのかを解明するヒントとなるかもしれない。
- カナダの映画業界はアメリカの映画業界と直接に競争しなければならない。2つの国における制作費はほぼ同じであるため、カナダ映画はアメリカ映画と同じ程度の予算を必要とする。しかし、カナダ映画はハリウッド映画と張り合えるような映画を作るだけの予算を集めることは出来ない。また、多くのカナダ映画は、個性的なキャラクターが登場するドラマや、風変わりなコメディであり、そういった作品は批評家受けはよくても、大衆にはあまりアピールしない。
- 1970年代、カナダの税制により、映画製作に対して減税措置が取られた。その結果、多くの映画が、単に税金対策のために製作され、作品の質は問われなかった。例えば、プロデューサー達は制作費の中から報酬を得ることが出来た。これはアメリカでは許されておらず、アメリカではプロデューサー達は、制作費が回収できた後にしか報酬を得ることが出来ない (この状況は『プロデューサーズ』にも描かれている)。
- イギリス、オーストラリア、アメリカの映画製作者たちは、自身の文化的遺産を作品に取り入れているが、多くの場合、カナダで制作される映画作品は、カナダという国や文化に結びつくものではない。1982年の『ポーキーズ』や2000年の『アート・オブ・ウォー』といった作品にカナダも制作面で関わっているが、アメリカ映画と区別がつかないため、それを知って驚く人も多い。
- カナダの俳優達は、自国で映画やテレビの仕事を見つけることが難しい。多くのアメリカ映画がカナダで撮影されているが、その場合でもキャスティングはロサンゼルスで行われるため、カナダ人俳優が入る余地がない。カナダ人俳優のほとんどは、俳優としてやっていくために、プロデューサーや監督、キャスティング・エージェントのいるロサンゼルスに移ることを余儀なくされる。
- 多くのカナダ映画では、アメリカ人やイギリス人俳優が主演となっている。例えば、ヒットした『The Apprenticeship of Duddy Kravitz』では、主要な登場人物であるDuddy(リチャード・ドレイファス)も、彼の父親(ジャック・ウォーデン)もアメリカ人俳優であった. ダディの叔父を演じたジョセフ・ワイズマンはモントリオール生まれだが、すでに40年以上、カナダ国外で暮らしていた。この現象は1970年代に顕著で、現在ではあまり明らかではないが、それでも2003年の『The Statement』にはイギリス人のマイケル・ケインが主演に選ばれ、1996年の『死の愛撫』では同じくイギリス人のヘレナ・ボナム=カーターが主演であった。
- テレビやラジオには、Canadian contentという規定があり、カナダで制作された作品をオンエアーする割合がすでに決められているが、この規定は映画には当てはまらない。カナダ映画の配給ネットワークは、アメリカのスタジオ・システムにコントロールされており、事実カナダ市場はアメリカ国外ではあっても、ハリウッドにとって国内市場とみなされている。その結果、カナダ映画への予算や、作品上映のチャンスは限られている。カナダの大都市以外では、カナダ映画が劇場にかかることはほとんどない。しかし、ケベックは例外である。ケベック全体で多くのフランス系カナダ人による作品が、フランス映画やアメリカ映画と共に上映されている。
- この問題には、他国文化に対する従属的姿勢が関連しているかもしれない。多くのカナダ人が、カナダ映画はハリウッド映画に劣ると思い込んでいる場合がある。多くの良質のカナダ映画が作られ、多くの駄作がハリウッドでも作られていることを考えると、これは現実的な考えではないが、こういった傾向がカナダの映画製作者たちにとってハードルとなっているのかもしれない。