イウダ (エルサレム主教)
エルサレム主教[1]イウダ[2](ギリシア語: Ιούδας, 英語: Judah Kyriakos)は、キプロスのエピファニオス、カイサリアのエウセビオスによれば、イイスス(イエス)の兄弟イウダの曾孫であり、かつ最後のユダヤ系のエルサレム主教である[3][4]。
いつから彼がエルサレム主教に着座したかは不明であるが、バル・コクバの乱(132年 - 136年)の際には生きていたとされる。イウダの後に、カイサリア府主教により、マルコがアエリア・カピトリーナ主教[5]に135年に叙聖されている。
脚注
編集- ^ この時代、まだ総主教制は行われていなかった。
- ^ 転写は日本正教会で行われるものに拠った。現代ギリシャ語ではイウダスと転写し得る。同名の人物を日本聖書協会訳聖書ではユダと転写している。
- ^ The Panarion of Epiphanius of Salamis: Book I (Sects 1-46) By Epiphanius, Epiphanius of Salamis, Translated by Frank Williams, 1987 ISBN 9004079262 p xi
- ^ Eusebius, The History of the Church (Tr. A. G. Williamson, Penguin Books, 1965. ISBN 0-14-044535-8), see summary in Appendix A.
- ^ アエリア・カピトリーナ主教…エルサレムがローマ帝国軍によって壊滅させられた後に、エルサレム主教に代わって設けられた主教職。4世紀初頭まで続いた。
関連項目
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