エニ・ファレオマバエガ
エニ・ファアウアア・フンキン・ファレオマバエガ・ジュニア(英語: Eni Fa'aua'a Hunkin Faleomavaega Jr., 1943年8月15日 - 2017年2月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。妻と共に末日聖徒イエス・キリスト教会信徒であった。
エニ・ファレオマバエガ Eni Faleomavaega | |
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エニ・ファレオマバエガ(2013年11月) | |
生年月日 | 1943年8月15日 |
出生地 | アメリカ領サモア、ヴァイロアタイ村 |
没年月日 | 2017年2月22日(73歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国、ユタ州プロボ |
出身校 |
ブリガムヤング大学ハワイ校 ブリガムヤング大学 ヒューストン大学 カリフォルニア大学バークレー校 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | 民主党 |
配偶者 | ヒナヌイ・バムブリッジ・ケイヴ |
子女 | 5人 |
宗教 | 末日聖徒イエス・キリスト教会 |
選挙区 | アメリカ領サモア全州選挙区 |
当選回数 | 13回 |
在任期間 | 1989年1月3日 - 2015年1月3日 |
経歴
編集1989年より合衆国下院のアメリカ領サモア代表。下院本会議での投票権は持たない。下院外交委員会のアジア太平洋環境小委員会の委員長を務めた。アメリカ領サモア準州副知事を務めた後、1989年より下院サモア代表となる。
慰安婦問題と関係が深く、慰安婦に対する日本政府の謝罪を求めるアメリカ合衆国下院決議案を国連に上程する活動をしていた。2009年9月2日にソウルで記者会見を開き、日本に対して「韓国女性を含む20万人の女性を組織的に慰安婦として強制動員を行ったことを謝罪すること」「六ヶ国協議で拉致問題を議題にしないこと」を強く求めた[1]。
2014年の中間選挙で落選、政界を引退した。
外部リンク
編集- Eni Faleomavaega Official U.S. House website
脚注
編集- ^ “慰安婦決議案国連に上程を、米下院外交委小委員長”. 聯合ニュース. (2009年9月2日) 2010年9月14日閲覧。
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 フォフォ・スニア |
アメリカ領サモア準州全州選挙区 選出議員 第2代: 1989年1月3日 - 2015年1月3日 |
次代 アマタ・コールマン・レイドワーゲン |