ナブコ
かつて存在した日本の機械メーカー。
株式会社ナブコ(英: NABCO Ltd.)は、かつて存在した日本の機械メーカー。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒651-2271 神戸市西区高塚台7丁目3番地3 |
設立 |
1925年(大正14年)3月5日 (日本エヤーブレーキ株式会社) |
業種 | 機械 |
代表者 | 取締役社長 本田 侑三 |
資本金 | 86億円 |
売上高 |
443億円(単独) 553億円(連結) |
従業員数 |
1,174名(単独) 1,647名(連結) |
主要株主 | ナブテスコ 100% |
外部リンク | アーカイブ |
2003年9月29日、帝人製機と持株会社方式で経営統合し、共同持株会社ナブテスコを設立した。2004年10月1日に帝人製機と共にナブテスコに吸収合併され完全統合した。
沿革
編集- 1924年(大正13年)9月4日 - 神戸製鋼所と米ウェスティングハウス・エア・ブレーキ(WABCO)社間で鉄道車両用エアブレーキに関する特許権実施契約が成立。
- 1925年(大正14年)3月5日 - 日本エヤーブレーキ株式会社設立、神戸市葺合区脇浜町(現中央区脇浜海岸通)の神戸製鋼所内で創業。以前からWABCO製空気ブレーキの導入に関わっていた発動機製造(現・ダイハツ工業)と東京瓦斯電気工業も資本参加している。[1]資本金30万円、従業員77名、取締役社長には元鉄道省札幌鉄道局長の島村鷹衛が就任。
- 「日本エヤーブレーキ株式会社発祥の地」の石碑がヤマダ電機テックランド神戸本店の敷地内に2005年3月5日に設置された。
- 1928年(昭和3年)7月 - 押田安之助技師が「A動作弁」を開発。
- 1929年(昭和4年)1月 - 鉄道省客車に「AVブレーキ装置」としてA動作弁が採用される。以後国鉄の客車・電車の標準ブレーキシステムとして広く使用される。
- 1931年(昭和6年)5月 - 発動機製造と共同生産でオート三輪「ツバサ号」の製造販売を開始(発動機製造は先行して製造していた自社の「ダイハツ号」を「ツバサ号」に車名変更した)[2]。
- 1933年(昭和8年)6月 - 発動機製造との技術提携を解消。発動機製造は車名を「ダイハツ号」に戻し、「ツバサ号」は自社で生産継続[2]。
- 1943年(昭和18年)12月27日 - 戦時中の英語規制に伴い、商号を日本制動機株式会社に変更。また、この年にオート三輪の生産を終了[2]。
- 1946年(昭和21年)6月29日 - 商号を日本エヤーブレーキ株式会社に戻す。
- 1949年(昭和24年)- 大阪証券取引所(現市場第一部)に上場。
- 1951年(昭和26年)- 戦争により中断状態となっていたWABCO社との技術導入契約を更新。
- 1953年(昭和28年)- 米ナショナル・ニューマティック社とドアエンジン・窓拭機の技術導入契約。
- 1985年(昭和60年)- 東京証券取引所(市場第一部)に上場。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 商号を株式会社ナブコに変更。
- 2001年(平成13年)- 本社を神戸市西区高塚台へ移転。
- 2003年(平成15年)9月29日 - 帝人製機とともに、新設の純粋持株会社ナブテスコに株式移転し、経営統合。
- 2004年(平成16年)10月1日 - ナブテスコに合併。
鉄道車両用製品
編集- 鉄道車両用各種ブレーキ制御装置[3]
- 空気圧縮機
- HS-20形 1983年(昭和58年)製品化、水平対向シリンダ方式で低騒音、低振動、小型軽量に優れたものである[3]。
- この空気圧縮機は相模鉄道・東急電鉄を皮切りに私鉄各社に採用される[3]。また、吐出量を2,000L/minから1,500L/min、1,000L/min、500mL/minに小容量化した製品もある[3]。
- ブレーキ関連製品
- 戸閉装置(ドアエンジン)
フランス・フェベレィ社(Faiveley)との合弁でナブコ・フェブレィ社を設立して製造[3]。JR東日本209系[3]・E217系[3]・E231系などに大量採用。
- 新幹線用戸閉装置、ドア押さえ装置[3]
- その他
参考文献
編集- 70年史編纂委員会『ナブコ70年史:1925 - 1996』ナブコ、1997年10月。