ミュージックフェア
『シオノギ・ミュージックフェア』(英 : SHIONOGI MUSIC FAIR)は、フジテレビ系列の一部で1964年8月31日から放送されている音楽番組。放送時間は複数回の変遷を経て、2001年4月以降は毎週土曜日 18:00 - 18:30(JST)に放送されている。それ以前の放送時間などについては別節を参照。
シオノギ・ミュージックフェア SHIONOGI MUSIC FAIR | |
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ジャンル | 音楽番組 |
企画 | 塩野義製薬 |
構成 |
玉井貴代志 大野ケイスケ |
演出 |
浜崎綾(チーフプロデューサー兼任) 島田和正 松永健太郎 花輪研斗 川上惇 |
司会者 |
仲間由紀恵 軽部真一(フジテレビアナウンサー) |
テーマ曲作者 | 保富康午、山本直純 |
オープニング | 歌:ゴスペラーズ |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
エグゼクティブ・プロデューサー | 石田弘 |
プロデューサー |
浜崎綾(CP、演出兼任の回もあり) 土田芳美 太田秀司 中村峰子 |
製作 | フジテレビ |
放送 | |
放送局 | フジテレビ系列の一部 |
映像形式 | 4:3→16:9 |
音声形式 | ステレオ放送 (1978年10月3日 - ) |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1964年8月31日 - 放送中 |
放送分 | 30分 |
回数 | 通算2900[1] |
公式サイト | |
放送開始から1969年3月まで | |
放送期間 | 1964年8月31日 - 1969年3月31日 |
放送時間 | 月曜日 21:00 - 21:30 |
放送分 | 30分 |
1969年4月から1981年9月まで | |
放送期間 | 1969年4月1日 - 1981年9月29日 |
放送時間 | 火曜日 21:30 - 22:00 |
放送分 | 30分 |
1981年10月から1983年9月まで | |
放送期間 | 1981年10月1日 - 1983年9月29日 |
放送時間 | 木曜日 22:30 - 23:00 |
放送分 | 30分 |
1983年10月から2001年3月まで | |
放送期間 | 1983年10月2日 - 2001年3月25日 |
放送時間 | 日曜日 23:00 - 23:30 |
放送分 | 30分 |
2001年4月以降 | |
放送期間 | 2001年4月7日 - |
放送時間 | 土曜日 18:00 - 18:30 |
放送分 | 30分 |
特記事項: 放送期間・放送時間はフジテレビ(制作局、関東地区)のもの。 シオノギヘルスケア単独スポンサー番組 1967年5月1日放送分よりカラー化。 放送回数は2018年3月31日放送分まで。 |
2023年現在、日本の民放でレギュラー放送されている音楽番組の中で最長寿番組[注 1]でもある。ハイビジョン制作及び字幕放送の実施も扱われ、フジテレビ系列局で地域限定スポンサードネットによる同時ネット番組ではあるが、スポンサードネットの対象から漏れた一部の系列局では放送していない(後述のように、過去ネットワークセールス枠だったため、ほとんどの系列局で放送経験がある)。
タイトルが示すように、開始当初から塩野義製薬による一社提供番組[注 2]であり、冠スポンサー番組でもある(提供クレジットはオープニングでは表記のみでエンディングでは提供読みがある)。新聞の番組表などでは、『MF』『ミュージックフェア』『Mフェア』などの略称で表記される場合もある。
概要
編集1964年3月29日に特集番組として放送されたことに端を発し、同年8月31日よりレギュラー番組として、特集版の総合司会を担当した越路吹雪を初代総合司会に据える形で本格的にスタート。落ち着いた雰囲気で、毎回違う歌手の共演を行う。
1967年5月1日放送分よりモノクロからカラーに切り替え[2]、1978年10月3日放送分よりステレオで放送[2]。2004年1月10日放送分よりハイビジョン製作に移行[2]。
トークコーナーでは、総合司会が季節やゲストにまつわるテーマを挙げてトークしたり、ゲスト同士が聞きたい質問でトークを展開している。また、スティーヴィー・ワンダーやジャネット・ジャクソンなどの海外の大物アーティストも多数出演している。
本作品と関わりの深いスタッフの一人に、1973年よりディレクターとして参加した石田弘がいる。石田はその後もプロデューサーなどを歴任しつつ、2022年現在もエグゼクティブプロデューサーとして名を連ねている。2008年10月4日放送分(『MUSIC FAIR』改題後)では、エンディングに石田の所属する音組がクレジットされた。
現在の土曜18時台前半に枠移動するまでは、放送開始から1983年9月29日まで、それぞれ2回枠移動(月曜21時台前半→火曜21時台後半→木曜22時台後半)しながらゴールデン・プライムタイムで約19年間放送され、1983年10月2日から2001年3月25日まで、日曜23時で約17年半放送されていた[注 3]。木曜22時台後半と日曜23時台前半の放送では、まずシオノギの30秒CM(『パンテーン』[注 4]・『ポポンS錠』・『セデスA錠・セデス・ハイ』・『さわやかコレクト』)等のCM[注 5]を放送し、本番組が始まるという構成だった。これに対し火曜21時台後半時代は、1970年代ではまずティンパニを中心にしたファンファーレ調BGMをバックに、タイトルとシオノギのクレジットを映し、その後シオノギの30秒CMを2本放送、その後は幾何学模様をバックにオープニングテーマを流した。そして1980年代では今日の出演者のコメントとハイライトシーンを流し、最後はタイトルと提供が映された。
日曜夜時代、参議院選挙および衆議院選挙の開票が即日になるまでは、当日の夜も放送していた。ただし、1989年1月8日は、昭和天皇崩御による報道特別番組のため休止され、翌週の1月15日に改めて放送された(この日は生前最後の同番組出演となる美空ひばり特集だった)。また、放送枠が選挙特別番組になった場合でも、23時台前半では、塩野義製薬の1社提供枠でセールスされていた(『スーパーナイトFNN選挙開票速報2時間スペシャル』も含む)。
土曜18時台に時間帯移動
編集21世紀を迎え2001年4月7日より、番組名を『MUSIC FAIR 21』にリニューアルし、放送時間帯も従来の日曜23時台前半から、夕方の全国ニュース(『FNNスーパータイム』→『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』)が編成されていた土曜18時台前半へと変更された。テーマ曲の「今夜は夢のラララミュージックフェア」という歌詞はそのままであるものの、以前の放送時間よりもかなり早い時間での放送となっている。
リニューアル当初の半年前後は、旧来からのスタイルを残しつつもVTRを用いた過去のエピソードのコーナー(転機など)や、好きな食べ物を紹介する「この一食」コーナー[注 6]も企画されていた。また、新しくエンディングにて出演歌手との記念撮影のコーナーも新設され、その写真が応募した視聴者にプレゼントされるという企画も行われていたが(掛け声は「ミュージックフェア21」だったが、初期は「MF21」と言っていた)、こちらも2008年9月27日放送分で終了している。
リニューアル前はほぼなかったジャニーズ事務所所属アーティストの様なアイドル歌手の出演も増え始め、往時の様に必ずしも歌唱力のある者ばかりが出演しているとは限らず、リニューアル前は常連だったベテラン・実力派歌手の出演も激減する。また、放送回によっては『FNS歌謡祭』や『FNSうたの夏まつり』(現在:『FNS歌謡祭 夏』)といった同局の大型音楽番組でも行われている出演ゲスト同士のコラボレーション(共演)で楽曲を披露される場合もある。
『FNS27時間テレビ』の放送日に関しては、2001年・2003年のように休止となる場合もあったものの、2004年以降は同番組の開始時間が18:30や19:00に繰り下がるようになったため、同番組の放送日と被る場合でも通常通り放送されている。また2009年7月25日放送分は、『FNS26時間テレビ』の関連企画で「緊急特集ヘキサゴンファミリー総力コラボ」として放送されたこともある。
2004年8月に放送40周年を、同年3月27日放送分で放送2,000回を達成した。2007年10月6日18:00(JST)から、音組とのコラボレーション企画で、公式サイトが開設。
2008年3月で放送2200回を迎えたことに伴い、3月は1ヶ月にわたり2,200回特別月間として豪華アーティストの共演(最終週のみ総集編)を放送した(2008年2月21日、東京国際フォーラムにて収録)。同年10月4日放送分より“21”がはずれたことから、番組名に『MUSIC FAIR』への再度変更が加わった。
2009年4月から2014年までは1組だけの企画を「ワンマンショー」と題したり、2回連続企画を定期的に行っていた。2009年10月3日放送分(2,280回)からは地上アナログ放送ではレターボックスでの放送に移行した。それに伴い、再度リニューアルを実施した。
2010年3月で放送2300回を迎えたことに伴い、2月26日に大阪厚生年金会館ホールにて公開収録が行われ、3月に4週連続で2300回記念特番として放送された(翌週4月3日も総集編を放送)。
2010年12月4日放送分は同日のゴールデンタイム・プライムタイムに『2010 FNS歌謡祭』が生放送されたため、本番組も生放送編成で『2010 FNS歌謡祭』の出演歌手がゲスト出演する形式が取られており、同番組の会場には本番組の総合司会である鈴木杏樹・恵俊彰も姿を見せていた。また同日は『もしもツアーズ』を挟む形で、本番組と『2010 FNS歌謡祭』の2つの音楽番組が1日に放送された。他方で、テレビ大分は土曜のゴールデンタイム・プライムタイムの編成を日本テレビ系列に定めており、『2010 FNS歌謡祭』についても同時ネットしていないが、当日の本番組については通常通り同時ネットで放送された[注 7]。
2010年代に入ってからの関東地区における視聴率は、5 - 6%台で推移している[3]。『サイゾー』2013年8月号は「(本番組の)視聴率は下降気味だが、塩野義製薬が本番組の提供を続ける意向であることと、フジテレビが塩野義製薬から年間10億単位のスポンサー料を得ているという事情から、本番組は打ち切りの対象にならない」と報じている。
2014年8月には、放送50周年を迎えた。2016年2月19日に、東京国際フォーラムで行われた2600回記念コンサートが公開収録された。その際、収録終盤には、当時の番組の総合司会を務める鈴木杏樹と恵俊彰が、番組を卒業することが発表された。両者は、同年3月26日放送分をもって番組を降板した。同年4月以降の後任の総合司会は、同年2月24日にフジテレビから発表され、8代目総合司会として仲間由紀恵と軽部真一(フジテレビアナウンサー)が務め、タイトルロゴ及びトーク時のセットを変更した。
2016年6月18日放送分は、『AKB48 45thシングル 選抜総選挙』の事前番組を兼ねた連動企画として、通常より1時間繰り下げとなる19:00からの生中継という形式が取られ[注 8]、AKB48の特集放送となった。同イベントの開票が毎年6月の土曜に移ったのは2013年度からだが、このような連動企画は同日の放送分が史上初となった。
2016年10月1日放送分より解説放送を開始。
2019年8月31日放送分で、放送55周年を迎えた。
2024年3月2日放送分で「世界最長の週刊音楽テレビ番組」としてギネス世界記録に認定されたことを同月に発表[4]。同月に大阪・フェスティバルホールにて開催された記念コンサートにおいて、認定証の授与式が行われ、公式認定員からフジテレビ社長の港浩一にギネス認定証が授与された[5]。授与式の模様は2024年3月23日放送分(第1夜)最後に放送された。
番組名について
編集1999年まで『ミュージックフェア』の後に西暦の下2桁('yy)を付して用いていたが、2000年以降は行っていない(同様の措置は、『ドリフ大爆笑』『ニュースJAPAN』[注 9]でもなされていた)。
4度目の枠移動に合わせて、2001年4月7日放送分から2008年9月27日放送分までの7年半は、世紀を示す数字を加えて『MUSIC FAIR 21』(-にじゅういち)とされていたが、2008年10月4日放送分より再度『MUSIC FAIR』に戻っている。
公開収録
編集初期10年程は公開収録を行っていたが、その後は番組の節目ごとに行われるのみとなり(2001年3月までの日曜時代の23時台前半でも番組の節目ごとに行われていた)、通常の収録は限られた関係者しかスタジオに入ることができない(観客の拍手・笑い声があるが、いずれも収録編集時に効果音として挿入したもので、実際にはスタジオ内に観客はいない)。『MUSIC FAIR 21』へのリニューアル後は、開始から半年程はスタジオに100名前後の観客を入れた公開収録が実施され、その後も不定期ながらも行われていた(記念撮影のコーナーでは、一時期観客席でも行われていた)。『MUSIC FAIR』改題後は、収録スタジオでの公開収録は行われていない。
公開収録は東京のほか、スポンサーの塩野義製薬やシオノギヘルスケアが本社を置く大阪(フェスティバルホールなど)でも行われている[注 10]。公開収録はこれまで1日のみだったが、2014年2・3月に放送された2,500回記念特別月間では放送開始50周年を記念し、初めて1月30・31日の2日間公演として行われた[6]。
大阪厚生年金ホールで収録された放送1,100回記念(1986年3月23日・30日放送分/全2回)と、前述の放送2,000回記念(2004年3月6日・13日・20日・27日放送分/全4回)は、神奈川県横浜市中区にある放送ライブラリーに所蔵されており、無料で視聴することが可能である[7]。
スタジオ収録
編集隔週月曜日に2本~3本撮りで実施されている。[注 11]
その他
編集1983年までのプライムタイム時代は、前番組のプロ野球中継が延長になった場合、本番組を休止して野球中継を塩野義提供で続けて放送した。このときの断り書きである「スポンサーのご厚意により」は後に流行語となり、他局でも野球やプロレス等のスポーツ中継延長時に使われるようになった。なお、古くは本番組開始以前の1959年に日本テレビがいわゆる『天覧野球』の中継を通常のナイター枠より1時間前倒しした際の新聞広告にも「この番組は(定時番組スポンサー3社)のご好意《原文ママ》によりニッカがお送りします」との文言が載った事例がある[8]。
歴代総合司会・正式タイトル・放送時間
編集期間 | 総合司会[2] | 正式タイトル | 放送時間 (すべて30分)[2] | |||
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代 | 女性 | 男性 | ||||
1964年 | 8月31日1964年12月28日 | 1 | 越路吹雪 | (不在) | シオノギ・ ミュージックフェア '64〜'95 |
毎週月曜 21:00 - 21:30 |
1965年 | 1月 4日1965年 | 5月31日2 | 左幸子 | |||
1965年 | 6月 7日1969年 | 3月31日3 | 南田洋子1 | 長門裕之1 | ||
1969年 | 4月 1日1981年 | 9月29日毎週火曜 21:30 - 22:00 | ||||
1981年10月 | 1日1981年12月24日 | 毎週木曜 22:30 - 23:00 | ||||
1982年 | 1月 7日1983年 | 9月29日4 | 星野知子 | (不在) | ||
1983年10月 | 2日1988年 | 3月27日毎週日曜 23:00 - 23:30 | ||||
1988年 | 4月 3日1995年 | 3月26日5 | 古手川祐子 | |||
1995年 | 4月 2日1995年10月 | 1日シオノギ MUSIC FAIR '95・'96 | ||||
1995年10月 | 8日1996年 | 9月29日6 | 鈴木杏樹 | |||
1996年10月 | 6日1999年12月26日 | SHIONOGI MUSIC FAIR '96〜'99 | ||||
2000年 | 1月 2日2001年 | 3月25日SHIONOGI MUSIC FAIR | ||||
2001年 | 4月 7日2008年 | 9月27日7 | 恵俊彰 | SHIONOGI MUSIC FAIR 21 |
毎週土曜 18:00 - 18:30 | |
2008年10月 | 4日2016年 | 3月26日SHIONOGI MUSIC FAIR | ||||
2016年 | 4月 2日2018年 | 4月28日8 | 仲間由紀恵 | 軽部真一2 | ||
2018年 | 5月 5日2019年 | 2月23日加藤綾子3・4 | ||||
2019年 | 3月 2日現在 | 仲間由紀恵5 | ||||
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最多出演者
編集テーマ曲
編集オープニングテーマ曲は保富康午作詞・山本直純作曲によるもの。オリジナル版では服部克久編曲によるものだが、編曲はその都度変わり、現在は武部聡志が担当している。
歌い手はザ・ピーナッツ→森山良子→サーカスを経て、2005年1月よりゴスペラーズが受け持っている。また、過去映像を使用した名曲セレクション形式での放送回では、2016年10月からサーカス版が再度使用されるようになった[11]。回によってはその日のゲストミュージシャンが歌唱する場合もあり、1997年2月9日放送分では米米CLUBがオープニングテーマを演奏している。
番組中で歌われる歌詞についてはオープニングタイトルの変更や歌手の交代に際して改定されている。1997年4月以降はOPが短縮され、現在の形式となった。 またフルバージョンの歌詞も存在し、これは開始初期から長門・南田夫妻司会期の途中までオープニングにおける出演者・スタッフクレジットで使われ、使用しなくなった後も記念回ライブで1曲目[12]として出演者全員で披露される。
なおこれとは別に、ミュージカル・アカデミーが歌唱したテーマ曲も使用されていた。このテーマ曲は、旧・CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売されていた「オリジナル版懐かしのテレビ番組テーマ大全集 昭和28〜43年」に収録されている。
2020年5月2日放送分より、新型コロナウイルスの影響で改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づいて発令された緊急事態宣言によるスタジオでの収録自粛を受けて、各アーティスト・ミュージシャンが自宅から演奏した「ミュージックフェアのテーマ 〜在宅ワークver〜」を番組オープニングで放送開始した。また、このテーマはYouTubeに期間限定で公開している。第6弾では、ALL CASTverが披露された。
参加アーティスト・ミュージックシャン(各五十音順) | ||||||
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○は参加、×並びに-は不参加、[ ]内には演奏に使った楽器を明記 | ||||||
参加アーティスト | 第1弾 | 第2弾 | 第3弾 | 第4弾 | 第5弾 | 第6弾 |
AI | ○ | ○ | ○ | × | ○ | ○ |
ISSA(DA PUMP) | ○ | ○ | ○ | × | ○ | |
大原櫻子 | ○ | ○ | × | ○ | × | |
倖田來未 | ○ | ○ | ○ | ○ | × | |
ゴスペラーズ | - | ○ | × | ○ | × | |
さかいゆう[Key.] | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
さだまさし[Vn.] | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
サラ・オレイン | - | ○ | ○ | × | ○ | |
城田優 | - | - | ○ | ○ | × | |
鈴木雅之 | - | - | ○ | ○ | ○ | |
橘慶太(w-inds.) | ○ | ○ | ○ | × | ○ | |
谷村新司 | ○ | × | ○ | × | ○ | |
徳永英明[Gt./Harm.] | - | ○ | ○ | ○ | ○ | |
新妻聖子 | ○ | ○ | × | × | ○ | |
平原綾香 | - | ○ | ○ | × | ○ | |
三浦大知 | - | - | ○ | ○ | ○ | |
水樹奈々 | - | - | ○ | ○ | ○ | |
宮野真守 | - | - | ○ | ○ | ○ | |
森山直太朗 | - | ○ | ○ | ○ | ○ | |
森山良子 | ○ | ○ | × | ○ | ○ | |
山崎育三郎 | ○ | ○ | ○ | × | ○ | |
参加ミュージシャン | 第1弾 | 第2弾 | 第3弾 | 第4弾 | 第5弾 | 第6弾 |
今井マサキ[Chor.] | ○ | |||||
加藤いづみ[Chor.] | ||||||
亀田誠治[Ba.] | ||||||
武部聡志[Key.] | ||||||
鳥山雄司[Gt.] | ||||||
宮本笑里[Vn.] | ||||||
よよか[Dr.] |
スタッフ
編集- エグゼクティブ・プロデューサー:石田弘(以前は演出→プロデューサー・演出→ゼネラルプロデューサー・演出)
- 音楽監督:武部聡志
- 構成:玉井貴代志、大野ケイスケ
- アソシエイトプロデューサー:福井倫子(クリーク・アンド・リバー社)
- 制作進行:渡辺由貴
- 技術協力:fmt、サンフォニックス、TUBE、明光セレクト
- 協力:ハーフトーンミュージック、フジパシフィックミュージック
- プロデューサー:土田芳美(以前はタイムキーパー→アシスタントプロデューサー)、中村峰子(以前はアカウントプロデューサー)、太田秀司
- チーフプロデューサー:浜崎綾(演出兼務の回あり)
- 演出:島田和正、松永健太郎(共テレ)、花輪研斗(イースト)、川上惇
- 制作:フジテレビ編成総局バラエティ制作局
- 制作著作:フジテレビ
過去のスタッフ
編集- 構成:保富康午、松本重美、牛島孝之、菅沼定憲、塚田茂、河野洋、氏家昇、奥山侊伸、河村シゲル、下山啓、高平哲郎、植竹公和、田中到、山内浩嗣
- 音楽監修:服部克久、前田憲男
- 演出:岡山尚幹、柴野広之、小松原登、石黒正保、小沢英機、久保田逸博、上原徹、浅見則夫、石本幸一、小西康弘、時宗大、古江学、塩谷亮
- アソシエイトプロデューサー:湯瀬恵理子(以前は制作プロデューサー)
- 演出→プロデューサー:林良三、熊谷雅弘、斉藤敏、増田晴男、後藤正行、深瀬雄介、冨田哲朗
- プロデューサー→構成:石川洋之
- プロデューサー:千秋與四夫、石井正幸、河本晃典、早川和希
- 演出→演出・プロデュース→チーフプロデューサー:板谷栄司
- プロデューサー→チーフプロデューサー→制作:三浦淳(2015年10月 - 2023年10月)
- チーフプロデューサー:きくち伸(2004年10月 - 2014年7月、以前はプロデューサー)
- 制作:太田一平
ネット局
編集1964年8月の放送開始以来一貫してネットしているのは制作局のフジテレビと塩野義製薬本社所在地の関西テレビの2局のみである。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間 | ネット状況 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ(CX) | フジテレビ系列 | 土曜 18:00 - 18:30 | 制作局 | |
北海道 | 北海道文化放送(UHB) | 同時ネット | 1972年4月開局から 1981年10月 - 1982年3月の半年間は放送中断 | ||
岩手県 | 岩手めんこいテレビ(mit) | 1991年4月開局から[注 13] | |||
宮城県 | 仙台放送(OX) | 1981年10月 - 1983年9月の2年間は放送中断 | |||
山形県 | さくらんぼテレビ(SAY) | 1997年4月開局から | |||
静岡県 | テレビ静岡(SUT) | 1968年12月開局から | |||
富山県 | 富山テレビ(BBT[注 14]) | 1969年4月開局から 1981年10月6日 - 1983年9月25日の間は放送中断[13][注 15] | |||
中京広域圏 | 東海テレビ(THK) | 1981年10月 - 1982年3月の半年間は放送中断[注 16] | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ(KTV) | 塩野義製薬の本社所在地[注 17] | |||
岡山県→ 岡山県 香川県 |
岡山放送(OHK) | 1969年4月開局から 香川県では1979年4月2日から放送 | |||
広島県 | テレビ新広島(TSS) | 1975年10月開局から | |||
愛媛県 | テレビ愛媛(EBC) | 1969年12月開局から | |||
高知県 | 高知さんさんテレビ(KSS) | 1997年4月開局から | |||
福岡県 | テレビ西日本(TNC) | 1964年10月のネットチェンジ[注 18]から | |||
長崎県 | テレビ長崎(KTN) | 1990年10月の日本テレビ系列脱退から | |||
熊本県 | テレビくまもと(TKU) | 1969年4月開局から | |||
大分県 | テレビ大分(TOS) | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
1970年4月開局から 『THE MUSIC DAY』(日テレ系)放送日はフロート番組扱い |
過去のネット局
編集- 札幌テレビ(STV):日本テレビ系列。1972年3月まではフジテレビとのクロスネット局。現在は北海道では北海道文化放送が放送。
- 秋田テレビ(AKT):1969年10月開局から。1981年9月打ち切り。
- 山形テレビ(YTS):テレビ朝日系列。1970年4月開局から。1981年9月打ち切り。1993年3月まではフジテレビ系列。現在はさくらんぼテレビで放送。
- NST新潟総合テレビ(NST)[注 19]:1968年12月開局から。1973年12月打ち切り。全国の政令指定都市を擁する道府県としては唯一非放送。
- 長野放送(NBS):1969年4月開局から[15]。1981年9月打ち切り。
- 石川テレビ(ITC):1969年4月開局から。1981年9月29日打ち切り[16]。
- 福井テレビ(FTB):1969年10月開局から。1981年9月29日打ち切り[16]。
- 山陰中央テレビ(TSK):1970年4月開局から。鳥取県では1972年9月22日から放送。1981年9月打ち切り。
- 広島テレビ(HTV):日本テレビ系列。1975年9月まではフジテレビとのクロスネット局。現在はテレビ新広島で放送。
- テレビ山口(tys):TBS系列。1970年4月開局から。1981年10月 - 1983年9月の間は放送中断。2000年6月打ち切り。1987年9月まではフジテレビとのクロスネット局。
- 九州朝日放送(KBC):テレビ朝日系列。1964年9月まではフジテレビとのクロスネット局。
- サガテレビ(STS):1970年代には放送した実績あり(1975年3月25日の番組から)[注 20]。
- 沖縄テレビ(OTV):1981年9月打ち切り。
備考
編集かつては地域限定ではないネットワークセールス枠であり、大半の系列局で放送されていた。しかし2回目の枠移動後の1981年10月からは地域限定スポンサードネット枠に変更され、そのスポンサードネットの対象から漏れた多くの局では、2回目の枠移動前の1981年9月をもって途中打ち切りとなった。このときネット局が西日本を中心に9局まで減少し、北海道・東北・北信越地方では本番組が全く放送されない状態となった。
その後一部系列局では新たにスポンサードネットの対象となったことで放送再開となり、現在はフジテレビ系列17局での地域限定スポンサードネットによる同時ネット番組[注 21]となっているが、残る11局では放送されていない。
スポンサードネットから漏れた系列局ではこの時間帯がローカルセールス枠となる上、タイトルロゴから「シオノギ」を省いた別素材を製作しての番組販売扱いでの放送を可能とする措置も取られていないため[注 22]、各局別に自主編成を行っている。
なお、現在スポンサードネットから漏れている系列局は、アナログ時代にVHF局であった福島テレビと沖縄テレビを除いて1970年前後のUHF大量免許期に開局した局であり、他系列優先編成のクロスネットだった局も含まれている。その一方で平成新局(岩手めんこいテレビ・さくらんぼテレビ(かつて山形テレビがネットしていた)・高知さんさんテレビ)では全局で開局当初からネットされている。
また、福島テレビおよびフジテレビ系列時代の福島中央テレビ(1971年10月に福島テレビとネット交換)と、テレビ宮崎(日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット)、鹿児島テレビおよび過去に同局の編成から外れたフジテレビ系列番組を放送していた南日本放送(TBS系列)では放送実績がない[注 23]。
2023年4月時点ではTVerやFODでの見逃し配信は行っていない。
放送日時の差し替え
編集- 関西テレビでは、日曜23時台前半時代の1983年10月 - 1984年3月の間、土曜19時台前半で先行ネットしていた。これは1984年4月改編でネットワークセールス枠から外れた『パンチDEデート』[注 24]放送のための配慮とされている。
- テレビ山口(現在では非ネット局)では、1986年頃[いつ?]に一度だけ日曜夕方に先行放送をしたことがある。日曜23時台前半時代には、フジテレビ系列がナイター中継の延長で放送時間が変更した場合には以前に放送できなかった回を放送し、当日放送分は録画を後日放送するという対応を取っていた。
- テレビ大分(クロスネット局)では、日本テレビの2004年のアテネオリンピック野球予選の中継をした8月21日の回と、2010年のバンクーバーオリンピック中継の影響を受けた2月13日および同月27日の回は、いずれも放送日時を翌日に差し替えた。その他、日本テレビから特番(主にスポーツ番組など)をネット放送する場合に、翌日や翌週に差し替える場合がある[注 25]。日曜23時台前半時代には、場合によっては(日本テレビ系列のナイター中継が延長した場合など)遅れネットで放送したことがあった。
- 沖縄テレビ(現在は非ネット局)では、ネット放送開始当初は時差ネット(土曜21:30 - 22:00)で放送していた。
放送休止の事例
編集かつては年末年始であっても通常通り放送されたが、その後少なくとも1週は休止されている。以下は土曜夕方移行後において年末年始以外では珍しく休止・順延となった事例である。
- 2004年5月22日 - 放送途中で当時内閣総理大臣の小泉純一郎による日朝首脳会談のニュースが放送されたため、翌週の5月29日に改めて放送された。
- 2004年7月10日 - プロ野球オールスターゲーム第1戦放送のため休止。
- 2009年11月7日 - プロ野球日本シリーズ第6戦『日本ハム×巨人』放送のため休止。
- 2010年11月6日 - 日本シリーズ第6戦『中日×ロッテ』放送のため休止[注 26]。
- 2011年3月12日 - 東日本大震災に関する報道特別番組放送のため急遽放送休止。
- 2012年8月4日 - ロンドンオリンピック「陸上予選 男子100m、女子棒高跳び」中継のため休止。
- 2013年7月20日 - サッカー東アジアカップ2013 女子 『日本×中国』を放送のため休止。
- 2017年4月1日 - 世界フィギュアスケート選手権2017 男子フリーを放送のため休止。
- 2020年2月29日 - 新型コロナウイルス肺炎問題の関連続報や、18時から行われた安倍晋三・内閣総理大臣の会見などを盛り込む『FNN 新型コロナ緊急特報 安倍首相“国民へ呼びかけ”』を放送するために急遽放送休止。同日放送予定のゆず特集は4月4日に予定変更となった[注 27][17][18][19]。
- 2021年11月20日 - プロ野球日本シリーズ2021第1戦『オリックス×ヤクルト』放送のため休止。
脚注
編集注釈
編集- ^ NHKを含めば、最長寿の番組はNHKのど自慢となる。
- ^ 2016年4月2日放送分からはCM出稿については塩野義製薬からコンシューマーヘルスケア部門(一般用医薬品・医薬部外品事業)を分社化して発足したシオノギヘルスケアの製品を中心としているが、引き続き塩野義製薬本体の企業CMも出稿しているため、スポンサー表記上はそのまま「シオノギ製薬」単独であるが、2022年7月2日放送分からはスポンサー表記が「SHIONOGI」に変更された。なお、シオノギヘルスケアにはロート製薬も出資している。
- ^ このため、移行当時としては珍しい深夜枠の音楽番組であった。
- ^ 日本における『パンテーン』の販売は1983年まで塩野義製薬が行っていた。
- ^ 番組開始当初から少なくとも1980年代中盤ごろまでは、『パンテーン』を除き、これらの製品の効能や服用方法をナレーションだけで説明する程度のものだった。1980年代後半以後、通常の商品イメージやタレントを起用したCMが放送され今日に至っている。
- ^ 食事ができる人は司会者および出演者に限られていたが、例外としてウルフルズが出演していた2001年5月12日放送分では観客にも配られたことがある。
- ^ 『2010 FNS歌謡祭』は12月12日13:00 - 17:10(JST)に時差ネットされた。
- ^ フジテレビを含む一部地域では、18:30から生中継。
- ^ 2000年以降は西暦4桁。
- ^ 2000年以降では、放送2,000回記念特別月間(2004年3月6日・13日・20日・27日放送分/全4回)、放送2,200回記念特別月間(2008年3月)、放送2,400回記念特別月間(2012年3月)、並びに放送2,600回記念特別月間(2016年3月)が東京国際フォーラムにて収録されている。
- ^ 2023年3月7日放送分のフジテレビ『めざましテレビ』にて、軽部真一アナウンサーが公表。
- ^ 例として、1969年11月25日放送分は長門が単独で進行。
- ^ 県内に塩野義製薬の金ケ崎工場がある。
- ^ 1993年12月までは、「T34」
- ^ 富山県では製薬工場が多数あるため製薬業が盛んであり、富山駅近くには塩野義製薬富山分室がある。
- ^ 該当期間中は「ミエと良子のおしゃべり泥棒」をローカルセールスにて放送。
- ^ 開始以来打ち切ることなくネットされ続けているのはこのような理由によるもの。なお、関西テレビ自体は自社制作のローカル番組(番組によってはフジテレビ等でも時差ネット)が充実しているため、フジテレビ製作のローカルセールス番組・地域限定スポンサードネット番組のキー局同時ネットが少ない(数少ない実例としては、前者は『坂上どうぶつ王国』などが(自社制作の『ちまたのジョーシキちゃん』放送開始まで)、後者は本番組と『ONE PIECE』などが該当。例示した2番組は、いずれも過去は時差ネットだった)。
- ^ 日本テレビ系列からネットチェンジ。
- ^ 2019年9月までは新潟総合テレビ[14]。新潟県の放送局は塩野義製薬グループとの直接的な広告取引が少ないため、他局も含めて塩野義製薬およびシオノギヘルスケアのCMは、スポットCMも含めて全く流れないわけではないが、頻度が比較的少ない。ただし、塩野義製薬およびシオノギヘルスケアがスポンサーに参加した複数社提供の全国ネット番組(『はじめてのおつかい』等)についてはそのままスポンサードネットやCMの放送が行われている他、新潟市内には塩野義製薬新潟分室がある。
- ^ 『演歌の花道』(テレビ東京)の時差ネットに伴い打ち切り。
- ^ この場合、一社提供スポンサーの推薦を受けないとネット出来ないという制約がある。
- ^ スポンサーの関係で再放送および番販用に別素材を製作した実例としては『おでかけ!パレット』(東海テレビ。初回放送のみタイトルロゴに『JR東海プレゼンツ』が入っていたが、再放送や独立局への番販で使用した素材では省かれていた)がある。
- ^ クロスネット時代には福島テレビはTBS系列を、鹿児島テレビは日本テレビ系列を優先ネットとした時期があった。
- ^ フジテレビほか一部系列局では、土曜19:00 - 19:30に先行裏送りネットとしていた。
- ^ 2012年ロンドンオリンピック中継、2012年の日本シリーズ中継、ラグビーワールドカップ2019中継、2020年東京オリンピック中継、2022年北京オリンピック中継、2024年パリオリンピック中継など。
- ^ 日本シリーズを中継しないテレビ大分でも休止となり、2年連続で別番組で穴埋めとなった。
- ^ 同時ネット局は報道特番内でスポンサーCMをそのまま消化したほか、FNN冠が付いた関係上当番組未ネット局でもネットされたが、CMは全てACジャパンのものに差し替えられた。
出典
編集- ^ “鈴木杏樹『MUSIC FAIR』涙で卒業発表 恵俊彰と3月末でラスト”. 2016年2月19日閲覧。
- ^ a b c d e “ABOUT MUSIC FAIR”. フジテレビ=. 2016年7月2日閲覧。
- ^ ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。
- ^ “『MUSIC FAIR』世界最長寿週刊音楽番組としてギネス認定 放送3000回記念公演を6週にわたり放送”. RealSound. 2024年3月13日閲覧。
- ^ “『MUSIC FAIR』世界最長寿週刊音楽番組としてギネス世界記録に認定 6週にわたり3000回記念コンサート放送、16組34人が夢の競演”. ORICON NEWS (2024年3月12日). 2024年3月12日閲覧。
- ^ “MUSIC FAIR 2500回記念コンサート”. フジテレビ. 2014年4月5日閲覧。
- ^ “放送ライブラリー公式サイト 検索結果”. 放送ライブラリー. 2016年7月2日閲覧。
- ^ 1959年6月25日朝日新聞(東京版)8面
- ^ 鶴田裕介「「ミュージックフェア」放送50年」『読売新聞』2014年2月14日付朝刊、12版、14面、文化面
- ^ 「極KIWAMI対談」『サンケイスポーツ』2016年12月13日付、7版、24面
- ^ ゴスペラーズ版と同様の尺に縮小したものを使用する場合もあるが、放送内容のダイジェスト映像を交えながら従来のサイズで流す回もある(提供クレジットは従来番組タイトルを表示していたアウトロ部分で表示)。
- ^ “16/03/05 2600回記念コンサート 第一夜”. フジテレビ (2016年3月5日). 2016年7月2日閲覧。
- ^ 『富山新聞』1981年9月29日 - 1983年10月2日付朝刊、テレビ欄。
- ^ “【WEB】190911「NST社名変更のお知らせ」” (PDF). 新潟総合テレビ (2019年9月11日). 2024年1月30日閲覧。
- ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)174p『昭和44年4月基本番組表』より。
- ^ a b 『北國新聞』1981年9月29日、10月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ “MUSIC FAIR@MUSICFAIR_Fujiのツイート(2020年2月29日作成)”. 2020年2月29日閲覧。
- ^ “「MUSIC FAIR」が緊急報道特番で休止”. 日刊スポーツ(2020年2月29日作成). 2020年2月29日閲覧。
- ^ “フジ コロナ禍で放送休止「ゆず特集」を4月4日に…「ミュージックフェア」”. デイリースポーツ(2020年3月5日作成). 2020年3月5日閲覧。
関連項目
編集- スポンサー
- 同局の音楽番組
- FNS歌謡祭
- FNS歌謡祭 夏
- FNS歌謡祭 春
- FNS歌謡祭 秋
- FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう 〜うたでひとつになろう日本〜
- とんねるずが生放送!音楽番組全部見せます!!-名曲で元気になろう-
- FNS名曲の祭典 秘蔵映像で振り返る55年 -NO MUSIC, NO TV.-
- 名曲お宝音楽祭
- 緊急生放送! FNS音楽特別番組 春は必ず来る
- FNSラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜
- THE ALFEE - 本番組とコラボレートをしたDVDをリリースしている。
- ザ・ビッグショウ - 本番組より3年前の1961年10月から同局で放送された塩野義製薬提供の音楽番組。
- ビッグベストテン
- 夜のヒットスタジオ
- HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP
- TK MUSIC CLAMP
- LOVE LOVE あいしてる
- 堂本兄弟
- ayu ready?
- 僕らの音楽
- どぅんつくぱ〜音楽の時間〜
- 音楽の時間 〜MUSIC HOUR〜
- 魁!音楽番付
- Love music
- 水曜歌謡祭
- 魁!音楽の時間
- 魁!ミュージック
- Tune
- 関連番組
- とんねるずのみなさんのおかげです - 本番組のスタッフが関わっている。また、「ミュージカルフェア」と題した殺人事件タッチのパロディが同番組内で放送されたことがあった。内容は、当時司会になったばかりの鈴木杏樹(本人出演)の殺害を狙う(実際には、木梨憲武扮する別の芸能人が殺害されるという設定)というもので、容疑者が前任司会者の古手川祐子のパロディで石橋貴明扮する「古手川原祐子」であった。
- 題名のない音楽会 - 本番組と同じく、1964年に放送を開始したクラシック系音楽番組。
- 直後で放送される際に本番組で特別企画が行われる場合がある特別番組(行われたもの含む)
外部リンク
編集- MUSIC FAIR - フジテレビによる番組公式サイト
- シオノギ・ミュージックフェア - 塩野義製薬
- MUSIC FAIR (@MUSICFAIR_Fuji) - X(旧Twitter)(2019年1月 - )
フジテレビ系列 月曜21:00 - 21:30 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ミュージックフェア
(1964年8月 - 1969年3月) |
スパイ大作戦(第2シリーズ)
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ミュージックフェア
(1969年4月 - 1981年9月) |
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フジテレビ 木曜22:30 - 23:00 | ||
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ミュージックフェア
(1981年10月 - 1983年9月)
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フジテレビ 日曜23:00 - 23:30 | ||
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ミュージックフェア
(1983年10月 - 1995年3月) MUSIC FAIR(第1期) (1995年4月 - 2001年3月)
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フジテレビ 土曜18:00 - 18:30 | ||
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MUSIC FAIR 21
(2001年4月 - 2008年9月) MUSIC FAIR(第2期) (2008年10月 - ) |
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