川島大地
川島大地(かわしま だいち、1986年11月21日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
愛称 | だいち[1] | |||||
カタカナ | カワシマ ダイチ | |||||
ラテン文字 | KAWASHIMA Daichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年11月21日(38歳) | |||||
出身地 | 茨城県鹿嶋市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1998 | 波野SSS | |||||
1999-2001 | 鹿嶋市立鹿島中学校 | |||||
2002-2004 | 鹿島高校 | |||||
2005-2008 | 東海大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2013 | 鹿島アントラーズ | 0 | (0) | |||
2011-2012 | → モンテディオ山形 (loan) | 15 | (0) | |||
2014-2019 | ギラヴァンツ北九州 | 100 | (6) | |||
通算 | 115 | (6) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集小学2年次に1歳年長の兄と共に茨城県内の少年サッカークラブである波野サッカースポーツ少年団に入団し[2]、全日本少年サッカー大会の茨城県大会などに出場した。小学生時代はゴールキーパー以外の全てのポジションを経験したと自ら語っている[2]。鹿嶋市立鹿島中学校を経て茨城県立鹿島高等学校に進学し校内のサッカー部でプレーした。中学生時代に現在の主要ポジションである左サイドでプレーするようになった[2]。中学生時代・高校生時代とに茨城県選抜チームに選抜され、高校時代には国民体育大会関東地区ブロック大会に出場した。高校卒業時にJリーグのクラブからオファーを受けた[3] が、オファーを断って東海大学に進学した。
東海大学ではサッカー部に所属して関東大学サッカーリーグ (1部・2部の双方のディヴィジョンにて) でプレーした他、2008年には関東大学オープニングフェスティバルに出場する選抜チーム (Bチーム) に選出された[4]。同年左膝前十字靭帯断裂の重傷を負って3月に手術を受けたため、関東大学リーグの序盤は試合に出場することはなかったが、10月下旬から復帰した[5]。同年11月に鹿島アントラーズから正式に獲得のオファーを受け、他クラブとの競合の末[5] に同クラブへの入団が内定した[6]。
2009年1月にパク・チュホ、宮崎智彦、大迫勇也と共に入団した。同年度はJサテライトリーグのリーグ戦などに出場していたが、10月5日、練習中に左膝前十字靭帯を損傷して全治6ヶ月の診断を受け、同月27日に手術を受けた[7]。
2011年から2年間、モンテディオ山形へ期限付き移籍し[8][9]、2013年に鹿島アントラーズへ復帰した。
2014年、ギラヴァンツ北九州へ移籍[10]。4月13日の対ジュビロ磐田戦で初先発を勝ち取り、リーグ戦初ゴールを決めた。同試合で右膝前十字靭帯を損傷。戦線を離脱する。
2015年から退団した鈴木修人に代り、選手会長を務めた。同年はリーグ戦34試合に出場、翌年も30試合に出場したが、その後は毎年出場試合数が減り続け、2019年には僅かリーグ戦6試合と天皇杯2試合に留まった。2019年、北九州と契約満了[11]。
2020年4月、現役引退とギラヴァンツ北九州の普及事業課コーチ就任が発表された[12]。
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 鹿島 | 33 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2010 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2011 | 山形 | 21 | 13 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 15 | 1 | |
2012 | J2 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2013 | 鹿島 | 33 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2014 | 北九州 | 19 | J2 | 4 | 1 | - | 0 | 0 | 4 | 1 | |
2015 | 34 | 2 | - | 2 | 0 | 36 | 2 | ||||
2016 | 30 | 1 | - | 2 | 0 | 32 | 1 | ||||
2017 | J3 | 15 | 1 | - | 2 | 0 | 17 | 1 | |||
2018 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | ||||
2019 | 6 | 1 | - | 2 | 0 | 8 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 13 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 15 | 1 | |
日本 | J2 | 70 | 4 | - | 4 | 0 | 74 | 4 | |||
日本 | J3 | 32 | 2 | - | 4 | 0 | 36 | 2 | |||
総通算 | 115 | 6 | 2 | 1 | 8 | 0 | 125 | 7 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2009 | 鹿島 | 33 | 0 | 0 |
2010 | 0 | 0 | ||
通算 | AFC | 0 | 0 |
タイトル
編集クラブ
編集- 東海大学サッカー部
- 関東大学サッカーリーグ2部優勝:1回 (2006年)
- Jリーグ:1回(2009年)
- 天皇杯:1回(2010年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:2回(2009年、2010年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2013年)
指導歴
編集- 2020年 - ギラヴァンツ北九州
- 2020年 - 2021年1月 スクールコーチ
- 2021年1月 - 2022年2月 U-14 監督
- 2022年2月 - U-18 コーチ
脚注
編集- ^ 『週刊サッカーマガジン 2010 J1&J2選手名鑑』(日本スポーツ企画出版社2010) p. 19
- ^ a b c “市報かしま 2009 341号 鹿嶋市出身のアントラーズ新加入選手にインタビュー”. 鹿嶋市役所公式サイト内. 2019年4月7日閲覧。
- ^ TOKAI SPORT INFORMATION 川島大地選手 (サッカー部) 東海大学公式サイト 2010.5.4 05:56 (UTC) 閲覧
- ^ 関東選抜Bに5選手が選出 コマスポ (駒澤大学スポーツ新聞編集部) 2008.2.18付記事
- ^ a b “鹿島「本山2世」東海大MF川島獲り”. 日刊スポーツ (2008年11月20日). 2010年5月4日閲覧。
- ^ 川島大地選手の加入が内定 鹿島アントラーズ公式サイト 2008.11.26付ニュースリリース
- ^ 川島選手の負傷について 鹿島アントラーズ公式サイト 2009.10.28付ニュースリリース
- ^ 船山が完全移籍、川島は期限付きで獲得 山形新聞 2011.1.7付記事 (アーカイヴ)
- ^ 川島大地選手 期限付き移籍期間延長のお知らせ モンテディオ山形 2012年1月11日
- ^ 川島 大地 選手鹿島アントラーズより完全移籍加入のお知らせ ギラヴァンツ北九州 2013年12月30日
- ^ 『川島 大地 選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)ギラヴァンツ北九州、2019年12月14日 。2019年12月14日閲覧。
- ^ 『川島 大地 選手 現役引退および普及事業課コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ギラヴァンツ北九州、2020年4月28日 。2020年4月29日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 川島大地 - Soccerway.com
- 川島大地 - FootballDatabase.eu
- 川島大地 - WorldFootball.net
- 川島大地 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 川島大地 - J.League Data Siteによる選手データ
- Jリーグ選手名鑑