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'''フランソワ=アドリアン・ボワエルデュー'''<ref>「ボイエルデュー」「ボワルデュー」と表記される場合もある。</ref>({{lang-fr-short|François-Adrien Boieldieu}} {{IPA-fr|fʁɑ̃.swa a.dʁi.(j)ɛ̃ bɔ.jɛl.djø, bwa(.ɛ)l.djø|}}, [[1775年]][[12月16日]] - [[1834年]][[10月8日]])は[[フランス]]の[[オペラ]][[作曲家]]・[[ピアニスト]]。[[19世紀]]前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人として活動した。優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスの[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]」と呼ばれた。ただし、実際は[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]と同世代である。


==生涯==
[[ルーアン]]出身で、[[1793年]]に舞台音楽の作曲家として最初の成功を収める。一時期[[サンクトペテルブルク]]の[[ロシア帝国|ロシア]]宮廷に、[[フランス語]]オペラの監督に就任するが、[[1811年]]に[[パリ]]に戻った。
[[1775年]][[12月16日]]、フランス北部の[[ルーアン]]に生まれる。父親はルーアンの大司教の書記であった。[[1783年]](8歳)に同地の大聖堂の少年聖歌隊に入り、歌唱法や[[ソルフェージュ]]を学ぶ一方で、同大聖堂のオルガニストを務めていたシャルル・ブロシュ(''[[:fr:Charles Broche|Charles Broche]],1752 - 1803'')に師事、またこの時期に[[パリ]]や[[ボローニャ]]へ向かい、[[アルマン=ルイ・クープラン|A.L.クープラン]](パリ)、[[ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ|G.B.マルティーニ]](ボローニャ)らにそれぞれ師事して、[[ピアノ]]、[[オルガン]]、作曲法などの音楽教育を受けた。鍵盤楽器奏者として認められたのち、[[1791年]](16歳)に故郷に戻ってからはルーアンの聖アンドレ教会のオルガニストに就任、また[[ピアニスト]]としても活動を開始している。1792年に作曲し、自ら初演した『ピアノ協奏曲 ヘ長調』はこの時期の作品で、彼の唯一の[[ピアノ協奏曲]]でもある。


同時に作曲家としても故郷ルーアンで活動を開始し、[[1793年]]に最初のオペラ『罪ある娘』を発表・上演され、オペラ作曲家として最初の成功を収めた。この1作目となったオペラは父の台本によるものである。続けて[[1795年]]に2作目となった『ロザリーとミルザ』も上演は成功を収める。この成功後によって[[1796年]]からパリで活動の拠点を置くことにし、1797年には3つのオペラ(『スイス人の家族』、『幸福な知らせ』『賭』)を立て続けに発表・上演し、パリ・オペラ座の人気作曲家として名声を確立する。[[1800年]]以降には『ベニオフスキー』、『バグダッドの太守』、『オーロール伯母さん』などでその地位を不動のものにした。なおこの時期に楽器製造家の[[セバスチャン・エラール|エラール家]]に迎えられ、そこでは[[ルイジ・ケルビーニ]]や[[エティエンヌ=ニコラ・メユール|エティエンヌ・メユール]]、[[ロドルフ・クレゼール]](「ロドルフ・クロイツェル」として知られる人物)、[[ピエール・ロード]]らと親交を結んだ。[[1798年]]から[[1803年]]まで[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]のピアノ科の教授を務めているが、のちに1817年に復職している。
ボイエルデューは、[[19世紀]]前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人である。《'''バグダッドの太守'''》や《'''白婦人'''》の[[序曲]]は、今なお演奏会の人気の曲目に留まっており、ハープ[[協奏曲]]などの器楽曲も時おり演奏・録音されている。


[[1802年]]、オペラ座で出会った舞踏家のクロティルド・マフルーレ(マルフルーレ、Clotilde Augustine Mafleurai, Clothilde Malfleuray, Mafleuray, Malflattrai などとも)と結婚するも、妻とはすぐに不和となり、わずか数か月で破綻を迎えた。翌年の[[1803年]]に[[ロシア帝国|ロシア]]帝室作曲家の地位を得て、[[サンクトペテルブルク]]へ赴任する。宮廷では[[フランス語]]のオペラの監督に任命され、[[1810年]]まで滞在した。同時に10作のオペラも生み出されている。[[1811年]]4月頃に[[パリ]]に戻り、帰国して最初に発表されたオペラ『{{仮リンク|パリのジャン|en|Jean de Paris (Boieldieu}}』([[1812年]])は大成功を収め、パリの聴衆から熱狂的に歓迎された。[[1817年]]、メユールの後任として[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]の作曲科教授に就任し、[[1829年]]まで教鞭を執った。また[[1818年]]にはアカデミー会員にも選出されている。[[1825年]]には彼の最高傑作として評される『[[白衣の婦人]]』が初演され、好評を博す。
優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスの[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]」と呼ばれた。ただし、実際は[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]と同世代である。


『白衣の婦人』を発表以後、[[1821年]]の『2夜』以降のオペラは成功作とはいえず不評に終わり、さらに結核性喉頭炎により健康を害したため、療養生活を送るようになる。晩年は家財を失い、政府の年金を受けながら生活を送るなどに過ごし、[[1834年]][[10月18日]]にパリ近郊の[[ヴァレンヌ=ジャルシー]]([[:en:Varennes-Jarcy]])でこの世を去った。葬儀は[[オテル・デ・ザンヴァリッド|アンヴァリッド]]で盛大に行われ、この時は友人ケルビーニの『レクイエム』が流されたという。
==作品一覧==

*''La fille coupable'' (1793)
教え子に[[アドルフ・アダン]]、[[ピエール・ジメルマン]]らがいる。
*''Rosalie et Myrza'' (1795)

*''La famille suisse'' (1797)
[[ファイル:Boieldieu.jpg|サムネイル|肖像画([[ルイ=レオポルド・ボワイー]]作)]]
*''L'heureuse nouvelle'' (1797)

*''Le pari, ou Mombreuil et Merville'' (1797)
==主要作品==
*ゾライムとズルナール(1798)
生涯に41作のオペラ(他人の合作も含める)を残し、今日上演されることはなく、顧みられてないが、『バグダッドの太守』や『白衣の婦人』の[[序曲]]は、今なお演奏会の人気の曲目に留まって演奏され、また[[ハープ協奏曲]]などの器楽曲も時おり演奏・録音されている。
*''Le dot de Suzette'' (1798)

*''Les méprises espagnoles'' (1799)
===オペラ===
*''Emma, ou La prisionière'' (1799)
[[:en:List of operas by Boieldieu|ボワエルデューのオペラ作品一覧(英語)]]
*''Béniovski, ou Les exilés du Kamchattka'' (1800)
*罪ある娘(''La fille coupable'') (1793)
*''Le calife de Baghdad'' (1800)
*ロザリーとミルザ(''Rosalie et Myrza'') (1795)
*''Ma tante Aurore ou Le roman impromptu'' (1803)
*スイス人の家族(''La famille suisse'') (1797)
*''Le baiser et la quittance, ou Une aventure de garnison'' (1803)
*幸福な知らせ(''L'heureuse nouvelle'') (1797)
*''Aline, reine de Golconde'' (1804)
*賭、またはモンブリュイールとメルヴィーレ(''Le pari, ou Mombreuil et Merville'') (1797)
*''La jeune femme colère'' (1805)
*ゾライムとズルナール(''Zoraïme et Zulnar'')(1798)
*''Abderkan'' (1805)
*''Un tour de soubrette'' (1806)
*スゼットの持参金(''Le dot de Suzette'' (1798)
*スペイン人の誤解(''Les méprises espagnoles'') (1799)
*''Télémaque'' (1806)
*エマ、または囚人(''Emma, ou La prisionière'') (1799)
*''Amour et mystère, ou Lequel est mon cousin?'' (1807)
*ベニオフスキー、またはカムチャツカの逃亡者たち(''Béniovski, ou Les exilés du Kamchattka'') (1800)
*''Les voitures versées'' (''Le séducteur en voyage'') (1808)
*{{仮リンク|バグダッドの太守|en|Le calife de Baghdad}}(''Le calife de Baghdad'') (1800)
*''La dame invisible'' (1808)
*オーロール伯母さん、または即席の小説(''Ma tante Aurore ou Le roman impromptu'') (1803)
*''Rien de trop, ou Les deux paravents'' (1810)
*キスと受領証、または駐屯地の出来事(''Le baiser et la quittance, ou Une aventure de garnison'') (1803)
*''Jean de Paris'' (1812)
*アリーネ、ゴルコンダの王妃(''Aline, reine de Golconde'') (1804)
*''Le nouveau Seigneur de village'' (1813)
*怒れる若き女(''La jeune femme colère'') (1805)
*''Bayard à Mézières, ou Le siège de Mézières'' (1814)
*アブデルカン(''Abderkan'') (1805)
*''Le Béarnais, ou Henri IV en voyage'' (1814)
*塔の侍女(''Un tour de soubrette'') (1806)
*''Angéla, ou L'atelier de Jean Cousin'' (1814)
*テレーマク(''Télémaque'') (1806)
*''La fête du village voisin'' (1816)
*愛と謎、または私のいとこはどれ?(''Amour et mystère, ou Lequel est mon cousin?'') (1807)
*''Charles de France, ou Amour et gloire'' (1816)
*{{仮リンク|転覆した馬車(誘惑の旅)|en|Les voitures versées}}(''Les voitures versées'' (''Le séducteur en voyage'')) (1808)
*''Le petit chaperon rouge'' (1818)
*目に見えない婦人(''La dame invisible'') (1808)
*''Les arts rivaux'' (1821)
*ささいなこと、または2つの屏風(''Rien de trop, ou Les deux paravents'') (1810)
*''Blanche de Provence, ou La cour des fées'' (1821)
*{{仮リンク|パリのジャン|en|Jean de Paris (Boieldieu}}(''Jean de Paris'') (1812)
*''La France et l'Espagne'' (1823)
*村の新しい領主(''Le nouveau Seigneur de village'') (1813)
*''Les trois genres'' (1824)
*メジエールのバヤール、またはメジエールの椅子(''Bayard à Mézières, ou Le siège de Mézières'') (1814)
*''Pharamond'' (1824)
*ベアルヌ、またはアンリ4世の旅(''Le Béarnais, ou Henri IV en voyage'') (1814)
*''La dame blanche'' (1825)
*アンジェラ、またはジャン・クーザンのアトリエ(''Angéla, ou L'atelier de Jean Cousin'') (1814)
*''Les deux nuits'' (1829)
*''La marquise de Brinvilliers'' (1831)
*隣村の祭り(''La fête du village voisin'' (1816)
*シャルル・ド・フランス、または栄光の愛(''Charles de France, ou Amour et gloire'') (1816)
*赤頭巾ちゃん(''Le petit chaperon rouge'') (1818)
*対抗する芸術家たち(''Les arts rivaux'') (1821)
*白いプロヴァンス、または裁判所の妖精(''Blanche de Provence, ou La cour des fées'') (1821)
*フランスとスペイン(''La France et l'Espagne'') (1823)
*3つのジャンル(''Les trois genres'') (1824) - オーベールとの合作
*ファラモン(''Pharamond'') (1824)
*[[白衣の婦人]]''La dame blanche'') (1825)
*2夜(''Les deux nuits'') (1829)
*{{仮リンク|ブランヴィリエ侯爵夫人(オペラ)|label=ブランヴィリエ侯爵夫人|en|La marquise de Brinvilliers (opera)}}(''La marquise de Brinvilliers'') (1831)

===その他の作品===
*ピアノ協奏曲 ヘ長調(1792)
*ハープとピアノのための二重奏曲第1番 ハ長調(1795)
*ピアノソナタ 作品1、作品2(1795)
*ハープとピアノのための二重奏曲第2番 変ロ長調(1796)
*ヴァイオリン・ソナタ 作品3(1799)
*ピアノソナタ 作品4(1799)
*ピアノ三重奏曲 ニ長調 作品5(1800頃) - ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための
*ピアノソナタ 作品6(1800)
*[[ハープ協奏曲]] ハ長調(1801) - 同年出版
*[[クラリネットソナタ|クラリネット・ソナタ]] 変ホ長調(1803) - 1814年改訂
*2台のピアノのための二重奏曲(第1番~第4番)
*この他「ロマンス」と題された歌曲(約100曲)などがあるが、紛失したものや未発表のものも存在する。

== 脚注 ==
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==参考文献==
*『新訂 標準音楽辞典 ト-ワ/索引』 [[音楽之友社]]、2008年
*『音楽大事典 第5巻』[[ 平凡社]]、1982年
*『クラシック作曲家辞典』 フェニックス企画編、中河原理監修 東京堂出版、2003年(第3版)


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2021年6月15日 (火) 19:28時点における最新版

フランソワ=アドリアン・ボワエルデュー
François-Adrien Boieldieu
基本情報
生誕 (1775-12-16) 1775年12月16日
出身地 フランス王国 ルーアン
死没 (1834-10-08) 1834年10月8日(58歳没)
フランスの旗 フランス王国 パリ
ジャンル クラシック音楽
職業 オペラ作曲家ピアニスト
担当楽器 ピアノ

フランソワ=アドリアン・ボワエルデュー[1]: François-Adrien Boieldieu [fʁɑ̃.swa a.dʁi.(j)ɛ̃ bɔ.jɛl.djø, bwa(.ɛ)l.djø], 1775年12月16日 - 1834年10月8日)はフランスオペラ作曲家ピアニスト19世紀前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人として活動した。優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスのモーツァルト」と呼ばれた。ただし、実際はベートーヴェンと同世代である。

生涯

[編集]

1775年12月16日、フランス北部のルーアンに生まれる。父親はルーアンの大司教の書記であった。1783年(8歳)に同地の大聖堂の少年聖歌隊に入り、歌唱法やソルフェージュを学ぶ一方で、同大聖堂のオルガニストを務めていたシャルル・ブロシュ(Charles Broche,1752 - 1803)に師事、またこの時期にパリボローニャへ向かい、A.L.クープラン(パリ)、G.B.マルティーニ(ボローニャ)らにそれぞれ師事して、ピアノオルガン、作曲法などの音楽教育を受けた。鍵盤楽器奏者として認められたのち、1791年(16歳)に故郷に戻ってからはルーアンの聖アンドレ教会のオルガニストに就任、またピアニストとしても活動を開始している。1792年に作曲し、自ら初演した『ピアノ協奏曲 ヘ長調』はこの時期の作品で、彼の唯一のピアノ協奏曲でもある。

同時に作曲家としても故郷ルーアンで活動を開始し、1793年に最初のオペラ『罪ある娘』を発表・上演され、オペラ作曲家として最初の成功を収めた。この1作目となったオペラは父の台本によるものである。続けて1795年に2作目となった『ロザリーとミルザ』も上演は成功を収める。この成功後によって1796年からパリで活動の拠点を置くことにし、1797年には3つのオペラ(『スイス人の家族』、『幸福な知らせ』『賭』)を立て続けに発表・上演し、パリ・オペラ座の人気作曲家として名声を確立する。1800年以降には『ベニオフスキー』、『バグダッドの太守』、『オーロール伯母さん』などでその地位を不動のものにした。なおこの時期に楽器製造家のエラール家に迎えられ、そこではルイジ・ケルビーニエティエンヌ・メユールロドルフ・クレゼール(「ロドルフ・クロイツェル」として知られる人物)、ピエール・ロードらと親交を結んだ。1798年から1803年までパリ音楽院のピアノ科の教授を務めているが、のちに1817年に復職している。

1802年、オペラ座で出会った舞踏家のクロティルド・マフルーレ(マルフルーレ、Clotilde Augustine Mafleurai, Clothilde Malfleuray, Mafleuray, Malflattrai などとも)と結婚するも、妻とはすぐに不和となり、わずか数か月で破綻を迎えた。翌年の1803年ロシア帝室作曲家の地位を得て、サンクトペテルブルクへ赴任する。宮廷ではフランス語のオペラの監督に任命され、1810年まで滞在した。同時に10作のオペラも生み出されている。1811年4月頃にパリに戻り、帰国して最初に発表されたオペラ『パリのジャン英語版』(1812年)は大成功を収め、パリの聴衆から熱狂的に歓迎された。1817年、メユールの後任としてパリ音楽院の作曲科教授に就任し、1829年まで教鞭を執った。また1818年にはアカデミー会員にも選出されている。1825年には彼の最高傑作として評される『白衣の婦人』が初演され、好評を博す。

『白衣の婦人』を発表以後、1821年の『2夜』以降のオペラは成功作とはいえず不評に終わり、さらに結核性喉頭炎により健康を害したため、療養生活を送るようになる。晩年は家財を失い、政府の年金を受けながら生活を送るなどに過ごし、1834年10月18日にパリ近郊のヴァレンヌ=ジャルシーen:Varennes-Jarcy)でこの世を去った。葬儀はアンヴァリッドで盛大に行われ、この時は友人ケルビーニの『レクイエム』が流されたという。

教え子にアドルフ・アダンピエール・ジメルマンらがいる。

肖像画(ルイ=レオポルド・ボワイー作)

主要作品

[編集]

生涯に41作のオペラ(他人の合作も含める)を残し、今日上演されることはなく、顧みられてないが、『バグダッドの太守』や『白衣の婦人』の序曲は、今なお演奏会の人気の曲目に留まって演奏され、またハープ協奏曲などの器楽曲も時おり演奏・録音されている。

オペラ

[編集]

ボワエルデューのオペラ作品一覧(英語)

  • 罪ある娘(La fille coupable) (1793)
  • ロザリーとミルザ(Rosalie et Myrza) (1795)
  • スイス人の家族(La famille suisse) (1797)
  • 幸福な知らせ(L'heureuse nouvelle) (1797)
  • 賭、またはモンブリュイールとメルヴィーレ(Le pari, ou Mombreuil et Merville) (1797)
  • ゾライムとズルナール(Zoraïme et Zulnar)(1798)
  • スゼットの持参金(Le dot de Suzette) (1798)
  • スペイン人の誤解(Les méprises espagnoles) (1799)
  • エマ、または囚人(Emma, ou La prisionière) (1799)
  • ベニオフスキー、またはカムチャツカの逃亡者たち(Béniovski, ou Les exilés du Kamchattka) (1800)
  • バグダッドの太守英語版Le calife de Baghdad) (1800)
  • オーロール伯母さん、または即席の小説(Ma tante Aurore ou Le roman impromptu) (1803)
  • キスと受領証、または駐屯地の出来事(Le baiser et la quittance, ou Une aventure de garnison) (1803)
  • アリーネ、ゴルコンダの王妃(Aline, reine de Golconde) (1804)
  • 怒れる若き女(La jeune femme colère) (1805)
  • アブデルカン(Abderkan) (1805)
  • 塔の侍女(Un tour de soubrette) (1806)
  • テレーマク(Télémaque) (1806)
  • 愛と謎、または私のいとこはどれ?(Amour et mystère, ou Lequel est mon cousin?) (1807)
  • 転覆した馬車(誘惑の旅)英語版Les voitures versées (Le séducteur en voyage)) (1808)
  • 目に見えない婦人(La dame invisible) (1808)
  • ささいなこと、または2つの屏風(Rien de trop, ou Les deux paravents) (1810)
  • パリのジャン英語版Jean de Paris) (1812)
  • 村の新しい領主(Le nouveau Seigneur de village) (1813)
  • メジエールのバヤール、またはメジエールの椅子(Bayard à Mézières, ou Le siège de Mézières) (1814)
  • ベアルヌ、またはアンリ4世の旅(Le Béarnais, ou Henri IV en voyage) (1814)
  • アンジェラ、またはジャン・クーザンのアトリエ(Angéla, ou L'atelier de Jean Cousin) (1814)
  • 隣村の祭り(La fête du village voisin) (1816)
  • シャルル・ド・フランス、または栄光の愛(Charles de France, ou Amour et gloire) (1816)
  • 赤頭巾ちゃん(Le petit chaperon rouge) (1818)
  • 対抗する芸術家たち(Les arts rivaux) (1821)
  • 白いプロヴァンス、または裁判所の妖精(Blanche de Provence, ou La cour des fées) (1821)
  • フランスとスペイン(La France et l'Espagne) (1823)
  • 3つのジャンル(Les trois genres) (1824) - オーベールとの合作
  • ファラモン(Pharamond) (1824)
  • 白衣の婦人La dame blanche) (1825)
  • 2夜(Les deux nuits) (1829)
  • ブランヴィリエ侯爵夫人英語版La marquise de Brinvilliers) (1831)

その他の作品

[編集]
  • ピアノ協奏曲 ヘ長調(1792)
  • ハープとピアノのための二重奏曲第1番 ハ長調(1795)
  • ピアノソナタ 作品1、作品2(1795)
  • ハープとピアノのための二重奏曲第2番 変ロ長調(1796)
  • ヴァイオリン・ソナタ 作品3(1799)
  • ピアノソナタ 作品4(1799)
  • ピアノ三重奏曲 ニ長調 作品5(1800頃) - ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための
  • ピアノソナタ 作品6(1800)
  • ハープ協奏曲 ハ長調(1801) - 同年出版
  • クラリネット・ソナタ 変ホ長調(1803) - 1814年改訂
  • 2台のピアノのための二重奏曲(第1番~第4番)
  • この他「ロマンス」と題された歌曲(約100曲)などがあるが、紛失したものや未発表のものも存在する。

脚注

[編集]
  1. ^ 「ボイエルデュー」「ボワルデュー」と表記される場合もある。

参考文献

[編集]
  • 『新訂 標準音楽辞典 ト-ワ/索引』 音楽之友社、2008年
  • 『音楽大事典 第5巻』平凡社、1982年
  • 『クラシック作曲家辞典』 フェニックス企画編、中河原理監修 東京堂出版、2003年(第3版)

外部リンク

[編集]