「グレシーニ・レーシング」の版間の差分
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'''グレシーニ・レーシング''' ( '''Gresini Racing''' ) は[[ロードレース世界選手権]]に参戦する[[イタリア]]のレーシングチーム。MotoGPクラスでは'''チーム・グレシーニ'''の名前で活動している。 |
'''グレシーニ・レーシング''' ( '''Gresini Racing''' ) は[[ロードレース世界選手権]]に参戦する[[イタリア]]のレーシングチーム。MotoGPクラスでは'''チーム・グレシーニ'''の名前で活動している。 |
2022年4月15日 (金) 07:52時点における版
グレシーニ・レーシング | |
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2022年の チーム名 | グレシーニ・レーシング・MotoGP |
本拠地 | イタリア・ファエンツァ |
代表 | ナディア・パドヴァーニ |
ライダー |
49. ファビオ・ディ・ジャンナントニオ 61. アレッサンドロ・ザッコーネ |
マシン |
MotoGP : ドゥカティ・デスモセディチGP21 Moto2 : カレックス・Moto2 |
タイヤ |
MotoGP : ミシュラン Moto2: ダンロップ |
ライダーズ チャンピオン |
4回 2001年 250cc 加藤大治郎 2010年 Moto2 トニ・エリアス2018年 Moto3 ホルヘ・マルティン2019年 MotoE:マッテオ・フェラーリ |
グレシーニ・レーシング ( Gresini Racing ) はロードレース世界選手権に参戦するイタリアのレーシングチーム。MotoGPクラスではチーム・グレシーニの名前で活動している。
チームの歴史
125ccクラスで2度の世界チャンピオンに輝いたファウスト・グレシーニが引退後の1997年に設立した。
1997年、アレックス・バロスをライダーに、V2エンジンのホンダ・NSR500Vで500ccクラスに参戦を開始する。デビューイヤーには表彰台を獲得することができた。翌1998年もバロスは残留し、新たにV4エンジンのNSR500で戦うことになった。それと並行して1999年は250ccに前年限りでアプリリアを追われたロリス・カピロッシを迎え、NSR250で参戦した。
2000年からは加藤大治郎をライダーにNSR250を駆って250ccクラスに参戦の場を移した。2001年シーズン、大治郎はシリーズチャンピオンを獲得し、チームは翌2002年からフォルトゥナ・ホンダ・グレシーニ として、大治郎をライダーに最高峰クラス(この年からMotoGPクラスに移行)に復帰を果たした。2ストロークのNSR500で参戦を開始したが、シーズン終盤には4ストロークのRC211Vを供給された。
スポンサーが変更となりテレフォニカ・モビスター・ホンダとなった2003年シーズンは大治郎の事故死という悲劇で開幕した。彼を追悼する意味で、チームロゴにはゼッケンの "74" が追加された。チームメイトのセテ・ジベルナウは年間4勝・シリーズ2位という成績を大治郎に捧げた。
翌2004年もジベルナウはシリーズ2位となり、チームメイトのコーリン・エドワーズはシリーズ5位だった。2005年、ジベルナウはチームに残留、新たにチームメイトとなったマルコ・メランドリがシーズン2勝を収めた。
2006年はスポンサーにフォルトゥナが復帰し、メランドリとトニ・エリアスのライダーラインナップとなり、メランドリが3勝、エリアスが1勝を収めた。2007年にはフォルトゥナのスポンサーシップを失ってしまったが、両ライダーは残留した。タイヤはミシュランからブリヂストンにスイッチし,800ccのRC212Vでシーズンを戦ったが、わずか表彰台2回と期待はずれな結果に終わった。
2008年はライダーが一新されアレックス・デ・アンジェリスと中野真矢のコンビとなり、新たにイタリアのスナック菓子メーカーサンカルロがメインスポンサーとなった。2009年は中野に代わりエリアスがチームに復帰し、シーズンを戦った。
2010年はMotoGPクラスはライダーを一新し、チーム復帰したマルコ・メランドリのチームメイトにルーキーのマルコ・シモンチェリが就く体制となった。またこの年から新たに始まったMoto2クラスには、降格した形となるエリアスと、ウクライナの新人ウラジミール・イワノフがモリワキのシャシーで参戦。エリアスが見事初代チャンピオンに輝き、チームに2度目のワールドタイトルをもたらした。
2011年シーズン、MotoGPクラスではメランドリに代わり青山博一がシモンチェリのチームメイトを務める[1]。Moto2クラスのライダーは一新され、高橋裕紀とミケーレ・ピロのペアとなる[2]。しかしMotoGPクラス第17戦での事故によりシモンチェリを失い、チームは最終戦の欠場も検討していたが追悼のためとして参戦を決意し、Moto2クラスでピロが初優勝を果たした。
2021年現在は、ホンダとの長年の関係を断っており[3]、アプリリアがマシン供給やタイトルスポンサーを務めている。そのため、チーム名がアプリリアレーシング・チーム・グレシーニに変わっている。Moto2ではカレックスがマシン供給を行っている。また、グレシーニの死去に伴い、彼の妻のナディア・パドヴァーニが執って行っている[4]。なおMotoGPクラスにおけるアプリリアとの契約は2021年で終了し、2022年からは新たにドゥカティからマシンの供給を受ける[5]。第13戦アラゴンGPを前にマーベリック・ビニャーレスがサヴァドーリに代わって加入した。
脚注
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/team+gresini+for+2011+with+simoncelli+and+aoyama
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/gresini+moto2+line+up
- ^ 2021年まで参戦していたMoto3クラスを除く
- ^ https://jp.motorsport.com/motogp/news/wife-of-the-late-fausto-gresini-takes-over-motogp-team/6495621
- ^ グレシーニ・レーシング、2022年からドゥカティを使用。ライダーはジャンアントニオとバスティアニーニ/MotoGP - オートスポーツ・2021年6月17日
外部リンク
- gresiniracing.com チーム公式サイト