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チャクモール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャック・モールから転送)
チチェン・イッツァ遺跡のチャクモール像、メキシコ国立人類学博物館所蔵。

チャクモール(Chacmool、Chac-mool、時折チャック・モールとも)とは、古典期終末から後古典期にかけてメソアメリカ全域において見られる、仰向けの状態でひじをつくような姿勢で上半身を起こして、を90度横へ向け、両部の上にのような容器をかかえてひざを折り曲げている人物のことをいう。チチェン=イッツアの「戦士の神殿」のもののほか、後述するようにメキシコ北西部からホンジュラスエルサルバドルまで広い範囲の遺跡で確認されている。 チャクモールは死んだ戦士を象徴し、いけにえなどの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供儀式がおこなわれたり、チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓太陽への捧げ物として置かれたといわれる。

名称の由来

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オーガスタス=ル=プロンジョンの肖像
アリス=ル=プロンジョンの肖像

チャクモールの名称の由来は、オーガスタス=ル=プロンジョン(Augustus Le Plongeon)と妻のアリス=ル=プロンジョン(Alice Dixon Le Plongeon)が1875年明治8年)にチチェン=イッツアの「ワシとジャガーの神殿」を調査した際に発見した彫像に、ユカテク・マヤ語の「のようにすばやいの足」を意味するチャークモル(Chaacmol)と名づけて呼んだことに由来する。プロンジョンはチチェン=イッツアをかつて支配したという強力な戦士である王子にちなんだ名前であると1877年明治10年)に刊行されたProceedings of the American Antiquarian Societyに所収された論文のなかで述べている。プロンジョンによってチャクモール像が発見されると、ユカタン州州都であるメリダの町はお祭りさわぎになった。1876年明治9年)のアメリカ独立100周年記念祭の際には当時のメキシコ大統領の許可をもらって、フィラデルフィアに持ち込まれたという。後にユカテク・マヤ語の古い用法に従って「ジャガー」という意味の「チャクモール」(Chacmool)に書き改められるようになって現在の表記となっている。

分布

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テノチティトラン「大神殿」(Templo Mayor)地区で発見されたチャクモール像

チャクモールはイダルゴ州トゥーラ=ヒココティトランのほかにトルテカの多数の遺跡やチチェン=イッツアなどメキシコ中央高原及びユカタン半島で見られるほか1980年代メキシコシティアステカの都テノチティトランの中心部であった「大神殿」(Templo Mayor)地区でも発見された。アステカのチャクモール像は雨神トラロックの姿を模して円筒形の耳飾をつけている。トラロックに捧げられた大神殿の脇部分から出土した。イダルゴ州トゥーラでは、12体、チチェン・イッツアでは、14体、そのうち1体はもともとチチェン・イッツアのものではなくアステカ様式である。そしてメキシコシティの「大神殿」地区では2体出土している。そのほかベラクルス州センポアラタラスカ王国領内であったミチョアカン州、たとえば都ツィンツンツァンの近隣にあるイワツイオ(Ihuatzio)遺跡に3体、 トラスカラ州グアテマラにあるマヤ遺跡のキリグアホンジュラス中央部のレンパ(Lempa)川中流域のシワタン(Cihuatan)などからも発見されている。

起源

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チャクモールの先駆をなすと思われる彫像は、古典期後期に、メキシコ中央高原の北方、サカテカス州ハリスコ州に興ったチャルチウィテス(Chalchihuites)文化の遺跡に見られる。ハリスコ州のセロ・デル・ウィトル(Cerro del Huitle)やウェフキリャ・エル・アルト(Huejuquilla el Alto)でチャクモールの原型ともいうべき彫像が発見されている。このことからチャクモールはメキシコ中央高原の北方起源であると考えられる。というのは、メキシコ中央高原の重要遺跡と目されるテオティワカンショチカルコカカシュトラにはチャクモールは全く見られず、マヤ地域でもそれは同様だからである。ただボナンパック遺跡の壁画に捕虜として仰向けに横たわった人物が描かれていることから、チャクモールの起源として説明されたことがあったが現在では否定されている。

現代文化

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カルロス・フエンテスはチャックモールをモチーフにした「チャック・モール」という短編を書いている[1][2]

脚注

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  1. ^ 『アウラ,純な魂 他4篇: フエンテス短篇集 (岩波文庫 赤 794-1)』岩波文庫、1995年7月17日。 
  2. ^ 岩波文庫の解説によれば、1「957年、メソアメリカの雨の神チャック・モールの像が大西洋を渡ったが、航海は時ならぬ暴風雨で大荒れ、展示先のスペインでは50年ぶりの豪雨で農家が大喜びと、欧州全土で記録的豪雨であった。イギリスに運ばれたときも同様であった。」という趣旨のことが書かれている。雨の神として説明されている。

参考文献

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  • Carrasco,David ed.
    2001-The Oxford Encyclopedia of Mesoamerican Cultures: The Civilizations of Mexico and Central America 1(ACAT-GULF), Oxford Univ. Pr. ISBN 0-19-514255-1
  • Evans,S.T and D.L.Webster eds.
    2001-Archaelogy of Ancient Mexico and Central America:An Encyclopedia, Garland Pub.Inc., N.Y. ISBN 0-8153-0887-6
  • メアリー・ミラー、カール・タウベ増田義郎監修、武井摩利訳
    『図説 マヤ・アステカ神話宗教事典』東洋書林, 2000年 ISBN 4-88721-421-9

関連項目

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