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ピエール・ジョゼフ・プルードン

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ピエール・ジョゼフ・プルードン
Pierre-Joseph Proudhon
生誕 (1809-01-15) 1809年1月15日
フランスの旗 フランス帝国
ドゥー県 ブザンソン
死没 1865年1月19日(1865-01-19)(56歳没)
フランスの旗 フランス帝国
セーヌ県 パリ
署名
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ギュスターヴ・クールベ『プロウドンと子供たち』

ピエール・ジョゼフ・プルードン(Pierre Joseph Proudhon フランス語: [pjɛʁ ʒɔzɛf pʁudɔ̃]1809年1月15日 - 1865年1月19日)は、フランス社会主義者無政府主義者無政府主義の父と言われる。

生涯

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ブザンソン郊外のムイエールと呼ばれるところで生まれた。父は醸造職人・樽製造職人をしていた。8歳頃から宿屋の食糧係として働きはじめ、コレージュ6年生に通学生として編入された。仕事のために授業を時々休み、教科書を筆写したり街の図書館に通ったりとほぼ独学の状態で、学業を完全に終了することはなかった。19歳から自分で生計を立てねばならず、ブザンソンの印刷所に校正係として就業した。この時期、教会用のラテン語聖書の校正をしているうちに広汎な神学の知識を身につけヘブライ語を覚えてしまったという。言語学も独学し、1837年に最初の著作『一般文法論』を自費出版し、これによりシュアール年金という奨学金を受け、3年間パリを遊学する。

1839年『日曜礼拝論』を発表するが、その内容が財産平等の理想に基づく社会改革思想であるとして聖職者会議に忌避され、発禁処分を受けた。1840年6月『財産とは何か』が出版されたが、「財産、それは盗奪である」などの過激な表現によりブザンソン・アカデミーが出版の認可を取り消したものの、プルードンは撤回を拒否する。1841年4月に財産に関する第二論文『ブランキ氏への手紙』、1842年1月に第三論文『有産者への警告』が刊行された。第三論文『有産者への警告』がブザンソンの司法官憲に押収され、起訴される。1843年3月に印刷所の仕事を辞め、1847年10月までリヨンのゴーチエ兄弟商会の事務員・法律顧問となる。実務に妨げられながら経済学者と交遊を重ね、1843年『人類社会における秩序の創造』、1846年『経済的矛盾の体系、または貧困の哲学』を出版する。このころ、ロシアバクーニンアレクサンドル・ゲルツェンとも知り合い、バクーニンとはヘーゲル弁証法について徹夜で議論している。
同時期に、1844年以来数回会っているマルクスから共産主義通信委員会の通信員となるよう依頼を受けているが、同意しつつも教条主義や権威主義的な傾向を危惧して多くを留保している。マルクスは「彼の著作はフランス・プロレタリアートの科学的宣言」とまで称賛していたが、この頃から軋轢が生じたとされる。

1848年二月革命のさい、テュイルリー宮殿の無血占領に参加し、2月7日からロシアの社会主義者アレクサンドル・ゲルツェンの協力も得て『人民の代表』『人民』『人民の声』などの新聞を発刊し、人民銀行と相互主義的交換組織を試み、6月の補欠選挙で国民議会議員に選出される。1849年に大統領ルイ・ナポレオンを反動の権化として自分の新聞で攻撃したため、3年の禁固刑と1万フランの罰金刑を宣告された。獄中生活の中で裁縫師ユフラジ・ピエガールと結婚して子供をもうけ、『一革命家の告白』(1850年)、『十九世紀における革命の一般理念』(1851年)などの代表作を執筆する。

出獄後の1858年に出版した『革命の正義と教会の正義』は6000部売れるが、公共道徳・宗教・国家を攻撃したとして官憲に押収され、再び禁固3年と3千フランの罰金刑を宣告され、家族とともにベルギーブリュッセルに亡命した。1862年にフランス政府の特赦を利用して帰国し、1863年『連邦主義的原理と革命党再建の必要について』を執筆する。遺著『労働者階級の政治的能力』を口述して完成し、パリ・コミューンの5年前にパッシー(現在のパリ16区)で心臓病により死去した。

政治思想

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プルードンは独学で経済や政治学を身につけたので、およそマルクスのように体系的な思想家ではない。『哲学の貧困』で行われたマルクスの論難(しかしマルクスはプルードンをかなり曲解して批判している)をはじめとして、プルードンの思想はさまざまな方向から批判された。

  1. プルードンは民衆とブルジョアジーの両者を兼ね、不偏不党の立場で社会的矛盾をとらえている
  2. 財産一般を攻撃しているのに、小財産を擁護している
  3. 家庭生活と女性の意義について、反動的な考えを持つ (女性は家事に専念すべきとして婦人参政権を否定した)[1]
  4. フランス人としてのナショナリズムを克服できていない
  5. 労働者のストライキ権を認めず犯罪と見做している[2]

これらの難点は、1840年代にヘーゲル哲学を受け容れた後も持ちこたえられ、ジョルジュ・ソレルなどのフランスの社会主義者・無政府主義者たちに引き継がれた。農民の生まれである彼は工業を嫌悪しプロレタリアートを蔑視していたが、1864年に発表された『六十名の宣言書』に関する社会主義者たちとの議論では、労働者を救うのは労働者自身であることを認めた。プルードンは有能なジャーナリスト・パンフレット作者であり、その雄弁な社会批判と文体の簡潔さは書簡にもあらわれる。晩年の「連合主義」はあらゆる中央集権的な組織への警戒として今日でも顧みられる。

著書

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日本語訳

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Qu'est-ce-que la propriêtê? ou, Recherches sur la principe du droit et du gouvernement

  • 新明正道 [翻訳]『財産とは何ぞや』3号、聚英閣〈新人會叢書〉、1921年。 NCID BN1001179X [3]

De la capacité politique des classes ouvrières

  • 石川三四郎 [翻訳]「労働階級の政治的能力」『社団的社会主義要綱 . 労働階級の政治的能力』16号、春秋社〈世界大思想全集〉、1930年。 NCID BN06390366 [4]
  • 三浦精一 [翻訳]『プルードン : 労働者階級の政治的能力』2号、三一書房〈アナキズム叢書〉、1972年。 NCID BN01228906 

Idée générale de la révolution au XIXe siécie

  • 延島英一 [翻訳]、島中雄三 [編集]「十九世紀における革命一般の思想」『十九世紀における革命一般の思想 . 無政府主義経済学』 27巻、平凡社〈社會思想全集〉、1931年。 NCID BN10396184 
  • 渡辺一 (政治学)「十九世紀における革命の一般理念」『プルードン ; バクーニン ; クロポトキン』42号、猪木正道 ; 勝田吉太郎 [編集翻訳]、中央公論社〈世界の名著〉、1967年。doi:10.11501/2935159NCID BN00534270 
    • 渡辺一 [翻訳]「十九世紀における革命の一般理念」『世界の名著(プルードン ; バクーニン ; クロポトキン)』53号、猪木正道 ; 勝田吉太郎 [責任編集]、中央公論社〈中公バックス〉、1980年。 NCID BN03238911 
  • 陸井四郎 [翻訳]、本田烈 [翻訳]『プルードン : 十九世紀における革命の一般理念』1号、三一書房〈アナキズム叢書〉、1971年。 NCID BN01228906 

Du principe fédératif et la nécessité de reconstituer la parti de la révolution

  • 小野重雄 [翻訳]『勞働權と財産權・聯合主義論』社会思想研究会出版部〈社會思想名著文庫〉、1949年。 NCID BN10690829 [5][6]

Les confessions d'un révolutionnaire pour servir à l'histoire de la révolution de février

  • 山本光久 [翻訳]『革命家の告白 : 二月革命史のために』作品社、2003年。 NCID BA63640769 [7]

Système des contradictions économiques ou Philosophie de la misère

  • 斎藤悦則 [翻訳]『貧困の哲学〈上・下〉』820-821号、平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2014年。 NCID BB16887140 

原書

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単行本

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Système des contradictions économiques ou Philosophie de la misère (1846年)
Avertissement aux propriétaires, ou lettre à M. Considérant, rédacteur de La Phalange, sur une défense de la propriété(1848年版)
Actes de la révolution : Résistance : Louis Blanc et Pierre Leroux(1849年版)[8]
没後に出版されたDe la Capacité politique des classes ouvrières(1865年版)

記事と演説原稿

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没後の作品

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注記:「労働者階級の唯一の政治力」(De la capacité politique des classes ouvrières)である「Stricto sensu」はプルードン没後、Gustave Chaudeyが手稿を修正し完成させ出版した。その他、没後の出版物は、プルードンが執筆に用いるつもりで手元に置いた記録やメモに基づき作成されている。プルードンはそれらの記録やメモ類を自分の死後、処分するように求めていたという。

書簡、日記

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オンラインで入手できる著作と翻訳

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参考文献

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  • アレクサンドル・ゲルツェン金子幸彦『過去と思索』12-14号、日本評論社〈世界古典文庫〉、1947年。 NCID BN10715613 
  • シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ、原幸雄 [翻訳]『プルードン : その生涯と書簡』41号、現代思潮社〈古典文庫〉、1970年。 NCID BN01928599 [12]
    • サント・ブーヴ、原幸雄 [翻訳]『プルードン』41号、現代思潮社〈古典文庫〉、1970年。ISBN 9784329020758NCID BB17234696 
    • サント・ブーヴ、原幸雄 [翻訳]『プルードン』現代思潮新社、2013年。 NCID BB17234696 
  • ピエール・アンサール、斎藤悦則 [翻訳]『プルードンの社会学』法政大学出版局〈りぶらりあ選書〉、1981年。 NCID BN00673492 
  • ジャン・バンカール、藤田勝次郎 [翻訳]『プルードン多元主義と自主管理』1, 2、未来社、1982年。 NCID BN00643389 
    • バンカール、藤田 [翻訳]『基礎理論』1号、未来社〈プルードン多元主義と自主管理〉、1982年。 NCID BN0555804X [13]
    • バンカール、藤田 [翻訳]『実現形態』2号、未来社〈プルードン多元主義と自主管理〉、1984年。 NCID BN05558232 
  • Halévy, Daniel (1948) (フランス語). La vie de Proudhon : 1809-1847. Éditions Stock. NCID BA01539405 (D・アレヴィ『プルードンの生涯』1948年)

英語の参考資料

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脚注

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  1. ^ この点はダニエル・ゲランも著作『プルードン、性的抑圧』(Proudhon, le refoulé sexuel)で批判的に論じた。
  2. ^ カール・マルクス、『哲学の貧困』:第2条第5節「同盟罷業と労働者の団結」
  3. ^ Qu'est-ce-que la propriêtê? ou, Recherches sur la principe du droit et du gouvernement
  4. ^ De la capacité politique des classes ouvrières
  5. ^ 小野重雄 [翻訳]. “勞働權と財産權・聯合主義論”. doi:10.11501/2388697. 2018年8月24日閲覧。
  6. ^ 長谷川進; 江口幹 1971.
  7. ^ Les confessions d'un révolutionnaire pour servir à l'histoire de la révolution de février
  8. ^ Qu'est-ce que le gouvernement ? qu'est-ce que Dieu ? に先立って出版された。
  9. ^ Qu'est-ce que le gouvernement ? qu'est-ce que Dieu ? に先立って発表したルイ・ブランピエール・ルルーの著作。
  10. ^ Prof. Tournesol [朗読] (2 September 2010). ROUDHON, Pierre-Joseph – Les Malthusiens (音声ファイル(MP3形式)、18分).
  11. ^ 出典: 1848年–1852年の新聞記事集. Œuvres complètes de P.-J Proudhon. 17. Librairie internationale. (1868) 
  12. ^ 原題P.J. Provdhon, sa vie et sa correspondance
  13. ^ 原タイトル: Proudhon, pluralisme et autogestion

関連

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外部リンク

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