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微妙なビジネス用語『イシュー』をアラサーOLがふかぼり


あのね、まず最初に言わせてほしいの。イシューって聞いた瞬間、「ああ、また横文字かよ」と思ったそこのあなた、安心して。わたしも最初はそうだったの。だって、イシューって言葉、妙にビジネス会議とかで突然出てくるじゃない?「これって本当にイシューか?」とか、「まずイシューを整理しましょう」とか、言った本人が一番分かってなさそうな顔をしてるあの瞬間。

本気で言ってるのか、それともただカッコつけたいだけなのか、脳内で葛藤しながらわたしはいつも聞いてる。だけどね、わたし、経営コンサルしてるから、仕方なくこれを真剣に考えてみたの。そうしたら、まあ奥が深いのなんの。まるで沼。いや、沼どころかブラックホール。最初は軽い気持ちで覗き込んだのに、気づいたら全身ずぶ濡れで、しかもその水がなんか温かい。これって知的お漏らしなのかしら?と、思わず問い直してしまうくらい。

でね、結論から言うと、イシューって要するに「本当に解くべき問い」のことなの。でもね、この「問い」っていうのが、ただの疑問文じゃないのよ。「なぜ?」とか「どうして?」とか、そういう小学生の夏休みの自由研究みたいなものじゃなくて、「解を出すことでその場の価値が最大化される問い」ってところがポイントなの。

ここで重要なのは、「価値」よ。わたしたちは普段、あれこれリストアップしてタスクを増やしがちだけど、実際のところ、それらのうちのほとんどは価値を生まない。価値どころか、むしろ時間を浪費してるだけだったりするわけ。だからこそ、この「イシュー」っていう概念は、現代人の生活において、一種の哲学的問いを投げかけてくるの。「お前、本当にそれやる必要あるの?」ってね。

で、ここからが本題よ。わたしたちがイシューを正しく把握するためには、まず自分の思考のクセを見極める必要があるの。これってちょっと恋愛みたいなものよね。例えば、ある男性が「この子、脈アリかな?」って思うとき、実際には相手がただ丁寧にLINEを返してるだけだったりする。でも、これを「脈アリ」というイシューに設定してしまうと、その後の行動が根本的に変わってくる。「次にどんなメッセージを送るか?」とか、「どんなデートプランを立てるか?」とかね。でも、本当に解くべき問いは「この子は自分に興味があるのか?」じゃなくて、「自分はこの子と一緒にいて幸せになれるのか?」だったりするのよ。ちょっと哲学的な香りがするでしょ?これがイシューの怖さなの。問いを間違えると、ぜんぶ間違える。

でも、じゃあ正しいイシューをどう見極めるのか?

ここが一番の難問。なぜなら、人間の脳って、そもそも思考をクリアにするようには設計されてないから。わたしたちは常に感情や欲望、過去の経験、社会的なプレッシャーに影響されてる。たとえば、会社の上司が「これを今すぐやれ!」って言ったとき、その内容がイシューなのかどうかなんて、冷静に判断するのは至難の業よね。だって、断ったら評価が下がるかもしれないし、そもそも上司に逆らうのが怖い。でも、ここで重要なのは、感情に引きずられずに立ち止まって考えること。「これ、本当に意味あるの?」と。これ、まるでコナンくんの推理みたいに、細かい証拠をひとつひとつ積み上げていかないと答えにたどり着けないのよ。

さらにややこしいのは、イシューって固定的なものじゃないってこと。時間や状況によって変わるの。これを数式で表すと、イシュー=f(時間、環境、目的)みたいな感じかしら?つまり、目の前の環境が変われば、イシューも変わる。これ、進化生物学で言う「適応」みたいなものよね。ダーウィンが言ったように、生き残るのは最強でも最速でもなく、環境に適応したもの。イシューも同じで、その場その場の状況に合わせて再定義していく必要があるの。

だからこそ、わたしはこう考えるの。イシューを見極める力って、ある意味では「自分が何を大切にしているか」を問われる力でもあるとね。つまり、イシューを整理するってことは、自分自身の価値観や優先順位を整理することでもあるのよ。これ、考えれば考えるほど、哲学的な問いに近づいていく。たとえば、「幸せとは何か?」とか、「人生の目的は何か?」とかね。

でもね、わたしたちがそんな壮大な問いに毎日向き合ってたら、たぶん頭おかしくなるわよ。だからこそ、日々の実務の中で「イシュー」を考えることが大事なの。大きすぎる問いに飲み込まれないために、小さなイシューから始めるのがコツ。たとえば、「今日の会議で何を決めるべきか?」とか、「このプロジェクトの一番の課題は何か?」とかね。こうやって小さなイシューを積み重ねていくことで、やがて大きな問いにも耐えられるようになる。これって、まるで筋トレみたいでしょ?最初は軽いダンベルから始めて、徐々に負荷を上げていく感じ。

最後に、ここまで読んでくれたあなたに一言。このエッセイ自体が実は「イシューって何?」という問いに対する答えになっているの。ちょっと難解だったかもしれないけど、もし少しでも「なるほど」と思えたなら、それがわたしにとってのイシューの成功。まあ、ここまで読んで「結局何言ってるのか分からない」と思ったなら、それもまた一つのイシューかもしれないけどね。

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