米国食品医薬品局(FDA)は、「チルゼパチド」の品薄状態が解消されたことを、10月2日に発表した。チルゼパチド(一般名)は、製品名では肥満症治療薬「ゼプバウンド」、2型糖尿病治療薬「マンジャロ」として承認されており、「オゼンピック」などの「GLP-1受容体作動薬」とともに、人気のある薬だ。
2022年12月以降、前例のない需要の高まりにより供給不足に陥っていたこれらの薬は、ようやく手に入る状態になったことになる。通常、医薬品不足の解消はいいことだ。しかし現在、代替薬として、調合版のチルゼパチドを服用している多くの人々にとっては、めでたいことではなく、恐怖と不安の瞬間を迎えることになる。なぜなら、これまで服用していた薬が入手できなくなるかもしれないからだ。
「かなり衝撃的なことです」とテネシー州在住のジャンナ・グリーンは言う。グリーンはチルゼパチド調合薬の服用を始めたばかりだが、その効果で「人生が一変しました」と語る。
グリーンは、調合版チルゼパチドを服用している何百万人のうちのひとりだ。米国では、医薬品が不足した場合などに、調剤薬局が独自に代替薬を調合して提供できる。これは、特許期間が満了した後に市場に出回り、FDAの承認を受けたジェネリック医薬品(後発医薬品)とは異なる。そのため、これらの調合薬は従来、大量生産されておらず、通常の医薬品と同じ承認プロセスの対象にもなっていない。
しかし、GLP-1受容体作動薬の需要が急増するなか、調合版チルゼパチドとセマグルチドの市場が活況を呈している。主な理由としては、遠隔医療を提供する企業がこれらの調合薬をブランド薬の何分の一かの価格で販売しているためだ。例えば、遠隔医療スタートアップであるRoは、減量のための調合版チルゼパチドを、初回1カ月分を99ドルで提供している。一方、名の知れたゼプバウンドは医療保険がないと1,000ドル以上もすることがある。(一部の企業では調合版の支払いに、「Klarna」などの「Buy Now Pay Later(後払い決済)」サービスを利用できるので、金銭的な障壁は下がってきている)。多くの遠隔医療企業は、簡単な問診の後、検査や医師の診察なしに薬を発送しているので、新しい患者でも数日以内に薬を受け取れるようになっている。
調合薬を使い続けたい人たち
しかし現在、調合版チルゼパチドを服用している患者の多くは不安を抱えている。処方箋の再処方が可能なのか、あるいは代替の投薬計画を立てるまでどれくらいの猶予期間があるのか、まったくわからず、なによりも調合版チルゼパチドを今後入手できなくなるのではないかと恐れているのだ。
「誇張抜きで本当に、チルゼパチドのおかげで人生を取り戻せました」とジム・バーテルは言う。調合版チルゼパチドを服用してから72ポンド(約33kg)も減量したという40歳のバーテルは、同薬の調合版を購入するために、価格重視でさまざまな遠隔医療企業を利用してきた。薬不足が解消されることに「深い不安」をバーテルは感じているという。
調剤を許可されている薬局には、503a薬局と503b薬局の2種類がある。503a薬局は医薬品の供給不足が解消されると、直ちにその薬の調剤をほぼ全面的に中止しなければならない。一方、503b薬局はより大規模な製造能力がある薬局で、医薬品の供給不足が解消された後も60日間の猶予期間が与えられ、その間は製造を継続できる。これらの薬をつくっている薬局の大半は503a薬局である。つまり、この薬に頼るようになった多くの人々にとって、供給はすでに減速しており、場合によっては突然停止してしまうということだ。
「薬不足でパニックになるのは当然です」と話すのは、調合版チルゼパチドを服用しているマリア・ライジングだ。ライジングは同薬の服用効果を自身の人気インスタグラムで公開している。「しかし実際には、薬不足が解消されることでパニックが起きているのです」
FDAの対応への不満
「患者の多くは、不意を突かれて途方に暮れています。手もとにある調剤薬の処方箋が、もはや使えなくなってしまう可能性があるからです」と、調剤薬局連盟(APC)の最高経営責任者(CEO)であるスコット・ブルナーは解説する。「FDA のやり方は、よくなかったと思います」
APCは、米国の600以上の調剤薬局を代表してFDAに書簡を送付した。その内容は、FDAに執行裁量権の行使を求めるものだ。具体的には、調剤薬局がすぐに調合版チルゼパチドの生産を止めなくて済むよう、移行期間の延長を要請している。これは、患者が混乱せずに新しい薬に移行できるようにするためだ。
FDAは、一部の調剤業者に対して「規制上の柔軟性」をもって対応する準備があると表明している。これは、当局の要請に応じてチルゼパチド不足が解消されるまで患者に調合薬を提供し続けてきた業者が対象となる。FDAの広報担当者であるアマンダ・M・ヒルズは、この方針について次のように説明した。
「FDAは、外注先の調剤薬局のなかには、いつ薬剤不足が解消されるのかを予測できなかったり、(チルゼパチド)がFDAの『薬剤欠品リスト』から削除されたときに、社内にまだ受けた注文を抱えていて、調合版づくりを進めていた可能性があることを認識しています」。しかしヒルズによると、FDAは、新規の注文に対応する施設だけでなく、60日間の猶予期間後に古い注文に対応した調剤薬局に対しても措置を講じる可能性があるという。
Hallandale Pharmacyは、調合版チルゼパチドの供給元として遠隔医療利用者の間で最も人気のある企業のひとつだ。しかし、同社は法律遵守のため調合版チルゼパチドの製造を中止した。同社は患者や処方医に宛てた書簡で、この決定を伝えている。書簡では「他社とは異なる対応をとる」と強調し、進行中の注文をすべてキャンセルすることを明らかにした。さらに、患者には可能であれば調合版のセマグルチドへの切り替えを勧めている。同社はまた、この状況の困難さについてFDAへ苦情を申し立てるよう患者に促している。そのため、規制当局へのコメント提出用リンクも提供した。
いまのところ、多くの患者と医療提供者は相変わらず不安な状況に置かれている。Henry Medsのような遠隔医療企業は、調合版チルゼパチドをいまだに宣伝・販売している。グリシン、ナイアシンアミド、ビタミンB群などの添加物を加え、米製薬大手イライリリーの(承認を受けた)製品とは容量が異なるチルゼパチドのみを提供しているところもある。製造者は、配合処方がイーライリリー製品から直接コピーしたものではないので、調合は法的にみても可能であると主張するかもしれない。しかし、だからといって、訴訟の可能性がないということではないだろう。
「イーライリリーは偽造、模造、違法に調剤されたチルゼパチドがもたらす患者への安全リスクに対処するために、あらゆる選択肢を検討しています」。同社の広報担当者であるアントワネット・フォーブスはこう語った。それだけでなく、規制当局者には「違法な模造品」に対する措置を講じるよう求めていくとも語った。
すでに販売を中止している企業もある。例えば、Edenは特別なランディングページを作成して、調合版チルゼパチドは 「米国全土で禁止されている!」と警告している。この分野で最も著名な遠隔医療企業のひとつであるRoも調合版の提供を中止した。同社の広報担当者であるニコラス・サモナスは次のように語った。
「わたしたちは、患者さんが継続的に適切な医療を受けられるよう、最善の選択肢を提供することに全力を尽くしています。その際、FDAの医薬品調合に関するガイダンス、および適用されるすべての法律と規制に準拠します」
Roは配合されたセマグルチドを、ゼプバウンドや「ウゴービ」とともに、まだ販売している。(FDAの欠品リストで、ゼプバウンドの供給は「安定していない」、ウゴービは 「不足している 」と表示されている)。
遠隔医療企業のなかには、患者に薬を買いだめしておくよう明確に伝えている企業もある。例えば、遠隔医療クリニックのEmergeは、長期の処方箋を提供する計画があることを、Eメールで患者に知らせた。そこには、「状況や薬局が許せば、チルゼパチドを何カ月分も注文できるオプションを提供します」と書いてある。しかし、長期的には、患者はセマグルチドの調合版に切り替える必要があるかもしれないことも記載されている。
一方、アウトソーシング・ファシリティーズ・アソシエーション(Outsourcing Facilities Association)と呼ばれる医薬品調合業界団体は、10月7日、チルゼパチドが依然として供給不足であるとしてFDAを相手取り、訴訟を起こした。
もし配合されたチルゼパチドを服用している患者が、イーライリリーの製剤に切り替えた場合、同社はそれに対応できるだけの供給量を確保していると確信しているのだろうか? この質問に対し、広報担当者のフォーブスはEメールで次のような声明を送ってきた。
「FDA承認済みのチルゼパチド薬であるマンジャロとゼプバウンドの全規格が、8月初旬から入手可能になっています。FDAは、ウェブサイトの欠品リストでも表示している通り、両薬剤の供給不足が『解決済み』になっていることを確認しています」
高い価格という障壁
すぐに入手できるかどうかは別として、価格が今後も障壁になると考えている患者もいる。今年8月、イーライリリーはより手ごろな価格のゼプバウンドの販売を開始すると発表した。服用する用量にもよるが、 1カ月分を400ドルから550ドルの価格帯で提供するという。新製剤の登場にもかかわらず、調合版チルゼパチドを現在服用している人の多くは、たとえすぐに入手できたとしても、ブランド薬を買う余裕はないという。「単純に、経済的な理由で手が届かないのです」とバーテルは言う。
FDAは調合されたGLP-1受容体作動薬の使用を推奨していない。同局は潜在的な患者に対し、調合版セマグルチドやチルゼパチドの投与ミスや副作用のリスクについて警告を発している。さらに、複数の肥満防止団体も、規制当局による監視が不十分であることを理由に、これらの調剤薬の使用に警鐘を鳴らしている。調剤薬業界には、一部の悪質業者が粗悪品や安全性に問題のある製品を提供している可能性があるという懸念が存在する。このため、業界全体が厳格な審査の対象となるべきだという見方が強まっている。
しかし、現実には多くの人々がすでにこれらの薬の調合版を服用しており、その効果は顕著だと報告されている。そのため、調合版の突然の供給中止は広範な混乱を引き起こしている。患者の治療が中断される可能性や、代替薬への急な切り替えを迫られるなど、新たな医療問題を生み出してしまっているのだ。
「心配というより、恐怖を感じています」と71 歳のアン・レザークは語る。レザークは、脂肪浮腫のために調合版チルゼパチドを服用しており、ブランド薬を買う余裕はないという。そして、いまの段階で(調合薬を)入手不可能にするのは「非人道的」だと憤る。
多くの調合版チルゼパチドを服用している患者が、代替として調合版セマグルチドに移行する可能性がある。もし、セマグルチドもFDAの欠品リストから除外されたなら、危機はさらに問題はさらに深刻化する可能性がある。その時期がいつになるかは不明だが、供給状況改善の兆しはすでに見えている。セマグルチドを使用したウゴービとオゼンピックを製造するノボ ノルディスクは、最近米国で取り扱っているほとんどの品目の供給を増やしている)。
医薬品の公式な供給状況は、直接的には価格設定に影響しない。しかし、価格が手ごろであることは、患者にとっての入手のしやすさに大きくかかわる。GLP-1受容体作動薬の価格障壁を下げる取り組みがなければ、市場から調合薬という選択肢が消えてしまった場合、偽造品や未承認の研究用ペプチドが出回るリスクが高まる恐れがある。
この状況に危機感を抱くレザークは訴える。「供給が完全に止まってしまうなんて、到底受け入れられません。陳腐に聞こえるかもしれませんが、この薬がわたしに希望を与えてくれたのです」
(Originally published on wired.com, translated by Miki Anzai, edited by Mamiko Nakano)
※『WIRED』による肥満の関連記事はこちら。
雑誌『WIRED』日本版 VOL.54
「The Regenerative City」 好評発売中!
今後、都市への人口集中はますます進み、2050年には、世界人口の約70%が都市で暮らしていると予想されている。「都市の未来」を考えることは、つまり「わたしたちの暮らしの未来」を考えることと同義なのだ。だからこそ、都市が直面する課題──気候変動に伴う災害の激甚化や文化の喪失、貧困や格差──に「いまこそ」向き合う必要がある。そして、課題に立ち向かうために重要なのが、自然本来の生成力を生かして都市を再生する「リジェネラティブ」 の視点だと『WIRED』日本版は考える。「100年に一度」とも称される大規模再開発が進む東京で、次代の「リジェネラティブ・シティ」の姿を描き出す、総力特集! 詳細はこちら。