ヴィタリー・セバスチャノフ
ソ連の宇宙飛行士
ヴィタリー・イワノヴィッチ・セバスチャノフ (ロシア語: Виталий Иванович Севастьянов, ラテン文字転写: Vitaly Ivanovich Sevastyanov, 1935年7月8日 - 2010年4月5日)は、ソビエト連邦の宇宙飛行士。ソユーズ9号、ソユーズ18号ミッションで宇宙に行った。
Vitaly Ivanovich Sevastyanov | |
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ヴィタリー・セバスチャノフ(手前) | |
宇宙飛行士 | |
国籍 | ソビエト連邦 |
生誕 |
1935年7月8日 ソビエト連邦 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、スヴェルドロフスク州クラスノウラリスク |
死没 |
2010年4月5日 (74歳没) ロシア、モスクワ |
他の職業 | エンジニア |
宇宙滞在期間 | 80d 16h 18m |
選抜試験 | Civilian Specialist Group 3 |
ミッション | ソユーズ9号、ソユーズ18号 |
経歴
編集Moscow Aviation Instituteでエンジニアとして学び、1959年に卒業。その後セルゲイ・コロリョフの設計局に参加し、Vostok spacecraftの設計に従事する。またガガーリン宇宙飛行士訓練センターで講義を行い、宇宙飛行の物理学を教えた。1967年に宇宙飛行士の訓練を自身で始める。
サリュート4号宇宙ステーションでの2ヶ月の滞在を含め、2つのミッションを成功させた後、サリュート6号ステーションのために地上管制室で働き、1980年代はブラン計画の設計に従事した[1]。1980年代はMan, Earth, Universeという宇宙探査のテレビ番組にホストとして出演していた。
1993年に宇宙開発から離れ、1994年に国家院議員に選任された。
またソ連のチェス協会の会長を2度(1977年から86年、88年から89年)務めた。