アドルフ・パイヒル
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アドルフ・パイヒル Adolf Peichl | |
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生誕 |
1917年12月8日 オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン |
死没 |
1969年6月4日 オーストリア ウィーン |
所属組織 | 武装親衛隊 |
軍歴 | 1938年 - 1945年 |
最終階級 | 親衛隊予備役少尉 |
アドルフ・パイヒル(ドイツ語: Adolf Peichl、1917年12月8日 - 1969年6月4日)は、オーストリアの軍人。最終階級は親衛隊予備役少尉。第二次世界大戦では携行可能な火器を用いて11両の戦車を撃破する戦果を上げ、ドイツ十字章や騎士鉄十字章など多くの勲章を受けた。
経歴
[編集]パイヒルは1917年12月8日にオーストリア=ハンガリー帝国ウィーンに生まれた。1938年に武装親衛隊に入隊。第2SS装甲師団のもと1939年のポーランド侵攻に参戦し、続くフランスの戦いにも加わっている。
1941年のバルバロッサ作戦では一級、二級鉄十字章を受章している。また、その後の東部戦線での戦闘を受け、パイヒルは1943年9月にドイツ十字章を、1ヵ月後には59日間に渡り行われた攻防戦を評価されて白兵戦章金章を受章した。
1944年6月に連合国がノルマンディー上陸作戦を行うと、パイヒルの所属する第2SS装甲師団はこれを食い止めるため前線に配備された。この時第4中隊の司令官だった彼は、連合軍と激戦を交わしている。この戦いをオットー・ヴァイディンガー親衛隊中佐に評価された彼は、ヴァイディンガーによる推薦で騎士鉄十字章を受章した。
パイヒルは親衛隊士官学校を卒業してないが、1944年11月9日に親衛隊予備役少尉へ昇進している。彼は大戦中重傷を負っており、その傷がもとで1969年6月4日に51歳で死去した。
叙勲
[編集]- 騎士鉄十字章 - 1944年10月16日[1]
- ドイツ十字章
- ドイツ十字章金章 - 1943年9月16日[2]
- 白兵戦章
- 白兵戦章金章 - 1943年10月26日
- 白兵戦章銀章 - 1943年10月22日
- 白兵戦章銅章 - 1943年10月22日
- 鉄十字章
- 一級鉄十字章 - 1941年10月28日
- 二級鉄十字章 - 1941年8月23日
- 戦車撃破章
- 1938年10月1日記念メダル
- 1941年/1942年東部戦線冬季戦記章 - 1942年8月30日
- 戦傷章
- 戦傷章黒章 - 1941年8月23日
- 戦傷章銀章 - 1943年3月1日
- 戦傷章金章
- 歩兵突撃章
- 歩兵突撃章銀章 - 1941年12月25日
昇進履歴
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- Patzwall, Klaus D.; Scherzer, Veit (2001) (German). Das Deutsche Kreuz 1941 – 1945 Geschichte und Inhaber Band II [The German Cross 1941 – 1945 History and Recipients Volume 2]. Norderstedt, Germany: Verlag Klaus D. Patzwall. ISBN 978-3-931533-45-8
- Scherzer, Veit (2007) (German). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives [The Knight's Cross Bearers 1939–1945 The Holders of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939 by Army, Air Force, Navy, Waffen-SS, Volkssturm and Allied Forces with Germany According to the Documents of the Federal Archives]. Jena, Germany: Scherzers Miltaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2