アフゴーイ
アフゴーイ أفجويي | |
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町 | |
北緯2度11分16秒 東経45度01分00秒 / 北緯2.18778度 東経45.01667度座標: 北緯2度11分16秒 東経45度01分00秒 / 北緯2.18778度 東経45.01667度 | |
国 | ソマリア |
自治政府 | 南西ソマリア |
行政区画 | 下部シェベリ州 |
地区 | アフゴーイ地区 |
人口 | |
• 合計 | 79,400人 |
等時帯 | UTC+3 (東アフリカ時間) |
アフゴーイ (ソマリ語: Afgooye, アラビア語: أفجويي) はソマリアの下部シェベリ州の南東部にある町。アフゴーイ地区の行政中心地。
概要
[編集]ソマリアの首都モガディシュの西方25キロメートルにある[1]。町の中央部にシェベリ川が流れる。
2013年時点のアフゴーイの人口は約7万9千人[2]。アフゴーイ地区全体では13万5千人[3]。
アフゴーイの多くの住民はソマリ族であるが、ソマリ族以外も住む[4]。
ゲレディ国のあった17世紀終わりごろからイストゥンカと呼ばれる新年祭が行われ、現在まで続いている[5]。
歴史
[編集]中世、現在のアフゴーイを含むソマリア南部の多くの地域が、アジュラン国の支配下にあった[6]。
17世紀の終わり、イブラヒム・アデールがこの町を首都とするゲレディ国を建国。
1908年、イタリアがこの地を占領し、イタリア領ソマリランドとした[7]。イタリアはモガディシュとアフゴーイを結ぶ鉄道を建設した(後のモガディシオ・ヴィラブルッチ鉄道)。イタリア領であった1920年代、この地域ではバナナの栽培が豊富であり、すぐにソマリ料理にも取り入れられるようになった[8]。
その後は、イギリス軍政、イタリア信託統治領ソマリアなどを経て1960年にソマリア共和国の一部となった。
1980年代、アフゴーイはペルシア湾岸諸国の投資対象となり、クウェートの首長がラマダーンを過ごすのに使われたこともあった。
1991年からソマリア内戦が始まると、首都モガディシュの多くの住民が、アフゴーイに避難をした[9]。
2008年10月、アフゴーイ地区を洪水が遅い、多くの難民が被災した[10]。
2008年11月、イスラーム過激組織アル・シャバブはアフゴーイの町に厳格なシャリーアを課している[11]。
2009年8月には、ソマリア暫定政府の軍とアル・シャバブとの戦闘が報じられている[12]。
2011年8月、首都モガディシュからイスラーム過激組織アル・シャバブが撤退し、ソマリア暫定連邦政府の支配が確定してからは、アフゴーイにいた避難民がモガディシュに移動して人口は大きく減った[13]。
2012年5月25日、ソマリア暫定連邦政府はAMISOMの支援を受け、アル・シャバブからアフゴーイを奪還した[14]。
主な出身者、住民
[編集]- アブデゥアリ・イッサ、イタリア信託統治領ソマリア当時の首相。生誕地
- モハメド・オスマン・ジャワリ、ソマリア連邦議会の議長。生誕地。
- ムスタファ・モハメド・モアリム、イタリア空軍学校校長。未成年時代の居住地。
脚注
[編集]- ^ International Institute for Mesopotamian Area Studies, Monographic journals of the Near East, (Undena Publications: 1981), p.78
- ^ “Somalia - City & Town Population”. Tageo. 27 September 2013閲覧。
- ^ “Regions, districts, and their populations: Somalia 2005 (draft)”. UNDP. 21 September 2013閲覧。
- ^ Virginia Luling (2002). Somali Sultanate: the Geledi city-state over 150 years. Transaction Publishers. ISBN 0-7658-0914-1
- ^ Lee V. Cassanelli, The Shaping of Somali Society: Reconstructing the History of a Pastoral People, 1600-1900, (University of Pennsylvania Press: 1982), p.271.
- ^ Lee V. Cassanelli, The Shaping of Somali Society: Reconstructing the History of a Pastoral People, 1600-1900, (University of Pennsylvania Press: 1982), p.102.
- ^ I.M. Lewis, A Modern History of Somalia, fourth edition (Oxford: Currey, 2002), p. 87
- ^ “After Barren Years in Somalia, Signs of Growth by the Bunch - See more at: http://www.garoweonline.com/page/show/post/1208/after-barren-years-in-somalia-signs-of-growth-by-the-bunch#sthash.arxPmBWb.dpuf”. Garowe online. (2014年12月14日) 2015年6月3日閲覧。
- ^ Mooge, Ahmed; Gallagher, Patrick (22 October 2010). “Civilian casualties mount in Mogadishu”. Los Angeles Times
- ^ UNHCR (2008年10月7日). “住む場所を失ったソマリア人を洪水が直撃”. 2015年5月31日閲覧。
- ^ “Rebels advance towards Mogadishu”. RFI. (2008年11月14日) 2015年6月21日閲覧。
- ^ “Somali president calls for Ramadan ceasefire”. Al Arabiya NEWS. (2009年8月22日) 2015年6月21日閲覧。
- ^ UNHCR (2012年7月3日). “安全と支援を求め、さらに移動を強いられるソマリアの人々”. 2015年5月31日閲覧。
- ^ “Somali al-Shabab militant stronghold Afgoye 'captured'”. BBC. (25 May 2012) 1 June 2012閲覧。