コンテンツにスキップ

アフゴーイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アフゴーイ

أفجويي
Skyline of アフゴーイ
アフゴーイの位置(ソマリア内)
アフゴーイ
アフゴーイ
アフゴーイの位置(アフリカの角内)
アフゴーイ
アフゴーイ
北緯2度11分16秒 東経45度01分00秒 / 北緯2.18778度 東経45.01667度 / 2.18778; 45.01667座標: 北緯2度11分16秒 東経45度01分00秒 / 北緯2.18778度 東経45.01667度 / 2.18778; 45.01667
ソマリアの旗 ソマリア
自治政府 南西ソマリアの旗 南西ソマリア
行政区画 下部シェベリ州
地区 アフゴーイ地区英語版
人口
 • 合計 79,400人
等時帯 UTC+3 (東アフリカ時間)

アフゴーイ (ソマリ語: Afgooye, アラビア語: أفجويي‎) はソマリア下部シェベリ州の南東部にある町。アフゴーイ地区英語版の行政中心地。

概要

[編集]

ソマリアの首都モガディシュの西方25キロメートルにある[1]。町の中央部にシェベリ川が流れる。

2013年時点のアフゴーイの人口は約7万9千人[2]。アフゴーイ地区全体では13万5千人[3]

アフゴーイの多くの住民はソマリ族であるが、ソマリ族以外も住む[4]

ゲレディ国のあった17世紀終わりごろからイストゥンカ英語版と呼ばれる新年祭が行われ、現在まで続いている[5]

歴史

[編集]

中世、現在のアフゴーイを含むソマリア南部の多くの地域が、アジュラン国の支配下にあった[6]

17世紀の終わり、イブラヒム・アデール英語版がこの町を首都とするゲレディ国を建国。

1908年、イタリアがこの地を占領し、イタリア領ソマリランドとした[7]。イタリアはモガディシュとアフゴーイを結ぶ鉄道を建設した(後のモガディシオ・ヴィラブルッチ鉄道)。イタリア領であった1920年代、この地域ではバナナの栽培が豊富であり、すぐにソマリ料理にも取り入れられるようになった[8]

その後は、イギリス軍政、イタリア信託統治領ソマリアなどを経て1960年にソマリア共和国の一部となった。

1980年代、アフゴーイはペルシア湾岸諸国の投資対象となり、クウェートの首長がラマダーンを過ごすのに使われたこともあった。

1991年からソマリア内戦が始まると、首都モガディシュの多くの住民が、アフゴーイに避難をした[9]

2008年10月、アフゴーイ地区を洪水が遅い、多くの難民が被災した[10]

2008年11月、イスラーム過激組織アル・シャバブはアフゴーイの町に厳格なシャリーアを課している[11]

2009年8月には、ソマリア暫定政府の軍とアル・シャバブとの戦闘が報じられている[12]

2011年8月、首都モガディシュからイスラーム過激組織アル・シャバブが撤退し、ソマリア暫定連邦政府の支配が確定してからは、アフゴーイにいた避難民がモガディシュに移動して人口は大きく減った[13]

2012年5月25日、ソマリア暫定連邦政府AMISOM英語版の支援を受け、アル・シャバブからアフゴーイを奪還した[14]

主な出身者、住民

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ International Institute for Mesopotamian Area Studies, Monographic journals of the Near East, (Undena Publications: 1981), p.78
  2. ^ Somalia - City & Town Population”. Tageo. 27 September 2013閲覧。
  3. ^ Regions, districts, and their populations: Somalia 2005 (draft)”. UNDP. 21 September 2013閲覧。
  4. ^ Virginia Luling (2002). Somali Sultanate: the Geledi city-state over 150 years. Transaction Publishers. ISBN 0-7658-0914-1. https://books.google.ca/books?id=IqgEAAAACAAJ&hl=en 
  5. ^ Lee V. Cassanelli, The Shaping of Somali Society: Reconstructing the History of a Pastoral People, 1600-1900, (University of Pennsylvania Press: 1982), p.271.
  6. ^ Lee V. Cassanelli, The Shaping of Somali Society: Reconstructing the History of a Pastoral People, 1600-1900, (University of Pennsylvania Press: 1982), p.102.
  7. ^ I.M. Lewis, A Modern History of Somalia, fourth edition (Oxford: Currey, 2002), p. 87
  8. ^ “After Barren Years in Somalia, Signs of Growth by the Bunch - See more at: http://www.garoweonline.com/page/show/post/1208/after-barren-years-in-somalia-signs-of-growth-by-the-bunch#sthash.arxPmBWb.dpuf”. Garowe online. (2014年12月14日). http://www.garoweonline.com/page/show/post/1208/after-barren-years-in-somalia-signs-of-growth-by-the-bunch 2015年6月3日閲覧。 
  9. ^ Mooge, Ahmed; Gallagher, Patrick (22 October 2010). “Civilian casualties mount in Mogadishu”. Los Angeles Times. http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-somalia-civilians-20101022,0,1309704.story 
  10. ^ UNHCR (2008年10月7日). “住む場所を失ったソマリア人を洪水が直撃”. 2015年5月31日閲覧。
  11. ^ “Rebels advance towards Mogadishu”. RFI. (2008年11月14日). http://www1.rfi.fr/actuen/articles/107/article_2146.asp 2015年6月21日閲覧。 
  12. ^ “Somali president calls for Ramadan ceasefire”. Al Arabiya NEWS. (2009年8月22日). http://www.alarabiya.net/articles/2009/08/22/82579.html 2015年6月21日閲覧。 
  13. ^ UNHCR (2012年7月3日). “安全と支援を求め、さらに移動を強いられるソマリアの人々”. 2015年5月31日閲覧。
  14. ^ “Somali al-Shabab militant stronghold Afgoye 'captured'”. BBC. (25 May 2012). http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-18206856 1 June 2012閲覧。 

参考文献

[編集]