東ティモール (州)
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- 東ティモール
- Timor Timur(インドネシア語)
Timór-Lorosa'e(テトゥン語) -
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←1976年 - 1999年 → (州旗) (紋章) -
公用語 インドネシア語
ポルトガル語言語 バリ語
ファタルク語
ジャワ語
テトゥン語
スンダ語
ウアブ・メト語宗教 カトリック教会
プロテスタント
イスラム教
ヒンドゥー教
仏教
アニミズム首都 ディリ - 知事
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1976年 - 1978年 アルナウド・ドス・レイス・アラウージョ 1992年 - 1999年 ジョゼ・アビーリオ・オゾリオ・ソアレス - 副知事
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1976年 - 1981年 フランシスコ・シャヴィエル・ロペス・ダ・クルス 1998年 - 1999年 ムシラン・デルモスウィト - 面積
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合計 15,007km² - 人口
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1980年 555,350人 1990年 747,750人 - 変遷
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インドネシアによる侵攻 1976年7月17日 サンタクルス事件 1991年11月12日 住民投票 1999年8月30日 UNTAET設立 1999年10月25日
通貨 ルピア 現在 東ティモール
東ティモール(ひがしティモール、インドネシア語: Timor Timur)は、インドネシアによる東ティモール占領下の1976年から1999年まで存在した、事実上のインドネシアの州である。
解説
[編集]ポルトガルから東ティモール民主共和国として独立した9日後の1975年12月7日に、インドネシアによる侵攻が行われ、1976年7月17日にインドネシアに併合され、27番目の州となった。しかし、国際連合はこの併合を認めず、ポルトガルを正式な宗主国としていた。
1999年8月30日に国連主催の独立の是非を問う住民投票が行われ、東ティモール人による賛成が大多数を占めた。これを受けて、投票の結果を不服としていた併合派の民兵と、その後ろ盾であるインドネシア国軍が東ティモール紛争を引き起こし、これを鎮圧するべく東ティモール国際軍が派遣され、1999年10月19日にインドネシアは併合を正式に取り消した。
地方行政区分
[編集]この州は13の県(カブパテン)、1つの行政町(コタ・アドミニストラティフ)、そしてそれらに属する郡(クチャマタン)に分割された[1][2]。
脚注
[編集]- ^ "Peraturan Pemerintah Republik Indonesia Nomor 19 Tahun 1976 tentang Pemerintahan Propinsi Daerah Tingkat I Timor Timur dan Kabupaten-Kabupaten Daerah Tingkat II di Timor Timur". Act of 30 July 1976 (インドネシア語). 2022年6月30日閲覧。 Archived 30 June 2022 at the Wayback Machine.
- ^ "Peraturan Pemerintah Republik Indonesia Nomor 41 Tahun 1981 tentang Pembentukan Kota Administratif Dili". Act of 19 November 1981 (インドネシア語). 2022年6月30日閲覧。 Archived 30 June 2022 at the Wayback Machine.