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武山駐屯地

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座標: 北緯35度12分50秒 東経139度37分50秒 / 北緯35.21389度 東経139.63056度 / 35.21389; 139.63056

陸上自衛隊武山駐屯地
海上自衛隊武山地区
航空自衛隊武山分屯基地
施設全景(2005年)
施設全景(2005年)
位置
地図
所在地 神奈川県横須賀市御幸浜1-1(大代表)
概要
駐屯地司令 高等工科学校長 兼任
主要部隊 陸上自衛隊高等工科学校
東部方面混成団本部
第31普通科連隊ほか

開設年 1958年12月
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武山駐屯地(たけやまちゅうとんち、JGSDF Camp Takeyama)は、神奈川県横須賀市御幸浜1-1及び2-1(学校地区)に所在する東部方面混成団等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地

概要

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前身に旧海軍武山海兵団を持つ。海上自衛隊横須賀教育隊(御幸浜4-1)・航空自衛隊武山分屯基地(御幸浜3-1)が隣接しており、敷地は一体となっている他、一部の施設は共用されている。また、武山分屯基地は、直ぐ南側の横須賀市長井町大原に飛び地として武山高射教育訓練場長井統制地区(旧海軍武山航空基地)を有する。横須賀市長坂には、武山駐屯地業務隊が管理する長坂小銃射撃場がある[1]

駐屯地司令は陸上自衛隊高等工科学校長が、分屯基地司令は航空自衛隊中部高射群第2高射隊長が兼務。

陸上自衛隊・海上自衛隊地区においては一年を通じて新入隊員等の基本教育を行っており、例年3,000名前後の学生が入居する。東部方面混成団及び横須賀教育隊の自衛官候補生及び一般曹候補生並びに高等工科学校生徒の1年生は全員、外出時の制服着用が義務づけられている。

駐屯地南門
駐屯地北門

沿革

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陸上自衛隊武山駐屯地

陸上自衛隊武山駐屯地・海上自衛隊横須賀基地武山地区

陸上自衛隊武山駐屯地・海上自衛隊横須賀基地武山地区・航空自衛隊武山分屯基地

  • 1964年(昭和39年)4月1日:ナイキシステムの航空自衛隊への移管により「航空自衛隊武山分屯基地」として発足、第101高射大隊が第1高射群に改編、第2中隊も第2高射隊に改編。
  • 1971年(昭和46年)6月:ナイキAミサイルからナイキJミサイルに換装。
  • 1986年(昭和61年)3月17日:駐屯地司令職務を第1教育団から少年工科学校に移管。
  • 1992年(平成04年)3月31日:第1高射隊がパトリオット部隊に改編。ペトリオット・システムへの換装。
  • 2002年(平成14年)3月27日:
  1. 第31普通科連隊朝霞駐屯地から移駐。
  2. 第1教育団隷下の第104教育大隊及び第105教育大隊が廃止。
  1. 第1教育団を廃止し、東部方面混成団を新編。
  2. 第31普通科連隊が第1師団隷下から東部方面混成団隷下に編合。
  3. 第1後方支援連隊第2整備大隊第2普通科直接支援隊を廃止し、東部方面後方支援隊第302普通科直接支援中隊(第31普通科連隊を支援)を新編。
  • 2012年(平成24年)9月16日:本駐屯地と関連施設を使用した神奈川県と横須賀市合同の総合防災訓練「ビッグレスキューかながわ」を実施。
  • 2016年(平成28年)12月15日:津波から装備品を保護するため、航空自衛隊武山分屯基地・第2高射隊の機材を長井統制地区[3]に移転[4]
  • 2023年(令和05年)3月16日:第2高射隊が第1高射群隷下から中部高射群隷下へ隷属替え。

駐屯部隊・機関(武山駐屯地)

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東部方面隊隷下部隊

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防衛大臣直轄部隊・機関

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所在部隊(武山地区)

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横須賀地方隊隷下部隊

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所在部隊(武山分屯基地)

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中部航空方面隊隷下部隊

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最寄の幹線交通

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脚注

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  1. ^ 長坂小銃射撃場神奈川県ホームページ。2023年6月17日閲覧
  2. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和33年政令第320号)”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ (1958年11月28日). 2019年1月3日閲覧。
  3. ^ 長井海の手公園 ソレイユの丘を参照
  4. ^ PAC3:高台に移動 津波被害回避で 空自武山分屯基地 /神奈川”. 毎日新聞のニュース・情報サイト. 毎日新聞社 (2016年12月15日). 2017年10月10日閲覧。


関連項目

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外部リンク

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