コンテンツにスキップ

アメンホテプ3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメンホテプ3世
Amenhotep III
古代エジプト ファラオ
統治期間 紀元前1386年 - 紀元前1349年、または紀元前1388年 - 紀元前1351年,第18王朝
前王 トトメス4世
次王 アメンホテプ4世
配偶者 ティイ
ネフェルティティ
タドゥキパ英語版
ギルヒパ英語版
子息 トトメス英語版
アメンホテプ4世
スメンクカーラー?
子女 スィトアムン英語版
イシト英語版
ヘヌトタネブ英語版
ネベトイアハ英語版
ベケトアテン英語版
トトメス4世
ムテムウィヤ
死去 紀元前1351/49年
埋葬地 WV22
テンプレートを表示

アメンホテプ3世: Amenhotep III)は、古代エジプト第18王朝の第9代ファラオ(王)(在位:紀元前1386年 - 紀元前1349年、または紀元前1388年 - 紀元前1351年)。即位名はネブマアトラー。「真実の主はラーなり」の意。正妻はティイ。子はアメンホテプ4世など。

トトメス3世トトメス4世の時代を経て絶頂に達した王国を継承した。在位期間も長く、40年近くに及んだ。アメン神を崇敬すること篤く、テーベカルナックのアメン神殿と直結する分神殿としてルクソール神殿を建設している。このほか、同地に広大な自身の葬祭殿も建設している。葬祭殿は後に後代の王たちによって破壊されたが、メムノンの巨像と呼ばれる彼の坐像は破壊されずに残り、現在でも形をとどめている。

アメンホテプ3世のミイラ

[編集]

アメンホテプ3世のミイラは、1898年に王家の谷、KV35で発見された。元々はKV22号墓に埋葬されていたが、棺や棺の中の副葬品諸共に発見された。

ミイラの状態は普通だが、頭蓋が胴体から外れている。また、頭蓋骨の鑑定の結果、深刻な歯周病を患っていた可能性が指摘された。

また、棺の中から大量の花輪が発見されており、首に花輪を掛けた状態で埋葬されていたことが判明している。

后妃・子女

[編集]
  1. ティイヒエログリフ: <-𓍘𓇌𓏭𓀰->英語: Tiye) - 第一王妃。神官イウヤとチュウヤの娘、アイの妹。
  2. ネフェルティティヒエログリフ: <-𓏏:𓈖:𓇳-𓇋𓄤𓄤𓄤𓄤𓇍-𓏏:𓏭-𓀭->) - 大神官アイAy)と妻テイ英語版ヒエログリフ: <-𓍘𓇌𓀰->: Tey)の娘。のちアクエンアテン王妃。古代エジプト三大美女の一人と言われる。
  3. タドゥキパ英語版Tadukhipa) - ミタンニトゥシュラッタの王女[1]。のちアクエンアテンと再婚。キヤヒエログリフ: <-𓎡:𓏭-𓄿𓀭->: KiYa)あるいはネフェルティティと同一人物とする説あり。
  4. ギルヒパ英語版Gilukhipa) - ミタンニ王シュッタルナ2世Shuttarna II)の王女。
  5. スィトアムン英語版(Sitamun) - 実の娘(母はティイ)。
  6. イシト英語版(Iset) - 実の娘(母はティイ)。
  1. トトメス英語版(Tuthmose) - 長男。プタハ大祭司。母はティイ。
  2. アメンホテプ4世 - 別名アクエンアテン。母はティイ。
  3. スメンクカーラー - 母は不明。アクエンアテンの息子とする説もあり。ネフェルネフェルアテンの次のファラオ。
  4. スィトアムン英語版(Sitamun) - 長女。母はティイ。父アメンホテプ3世の妃となる。
  5. イシト英語版(Iset) - 次女。母はティイ。父アメンホテプ3世の妃となる。
  6. ヘヌトタネブ英語版(Henuttaneb) - 三女。母はティイ。
  7. ネベトイアハ英語版(Nebetah) - 四女。母はティイ。
  8. ベケトアテン英語版(Beketaten) - 五女。母はティイ。

脚注

[編集]
  1. ^ Reeves, C. Nicholas. New Light on Kiya from Texts in the British Museum, p.100 The Journal of Egyptian Archaeology, Vol. 74 (1988)

文献

[編集]
  • エイダン・ドトソン+デイアン・ヒルトン著『エジプト歴代王朝史』東洋書林、2012年。ISBN 9784887217980 

関連項目

[編集]
先代
トトメス4世
古代エジプト王
130代
前1388年? - 前1351年?
次代
アメンホテプ4世