アロンゾ・モーニング
マイアミ・ヒートでのモーニング (2007年) | |||||||||||||||||||||||||||
マイアミ・ヒート | |||||||||||||||||||||||||||
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役職 | 球団副社長 | ||||||||||||||||||||||||||
所属リーグ | NBA | ||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1970年2月8日(54歳) | ||||||||||||||||||||||||||
出身地 | バージニア州チェサピーク | ||||||||||||||||||||||||||
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) | ||||||||||||||||||||||||||
体重(現役時) | 118kg (260 lb) | ||||||||||||||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||||||||||||||
高校 | インディアン・リバー高等学校 | ||||||||||||||||||||||||||
大学 | ジョージタウン大学 | ||||||||||||||||||||||||||
NBAドラフト | 1992年 / 1巡目 / 全体2位[1] | ||||||||||||||||||||||||||
シャーロット・ホーネッツから指名 | |||||||||||||||||||||||||||
プロ選手期間 | 1992年–2008年 | ||||||||||||||||||||||||||
ポジション | C | ||||||||||||||||||||||||||
背番号歴 | 33 | ||||||||||||||||||||||||||
永久欠番 | ヒート 33 | ||||||||||||||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||||||||||||||
1992–1995 | シャーロット・ホーネッツ | ||||||||||||||||||||||||||
1995–2003 | マイアミ・ヒート | ||||||||||||||||||||||||||
2003–2004 | ニュージャージー・ネッツ | ||||||||||||||||||||||||||
2005–2008 | マイアミ・ヒート | ||||||||||||||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||||||||||||||
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NBA通算成績 | |||||||||||||||||||||||||||
得点 | 14,311 (17.1 ppg) | ||||||||||||||||||||||||||
リバウンド | 7,137 (8.5 rpg) | ||||||||||||||||||||||||||
ブロック | 2,356 (2.8 bpg) | ||||||||||||||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com | |||||||||||||||||||||||||||
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) | |||||||||||||||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||||||||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||||||||
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アロンゾ・ハーディング・モーニング・ジュニア(Alonzo Harding Mourning, Jr., 1970年2月8日 - ) はアメリカ合衆国バージニア州チェサピーク出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンター。
センタープレイヤーとして特別上背があったわけではなかったが、剛力を発揮してインサイドを支配し、強烈な印象を残した。1999年と2000年にNBA最優秀守備選手賞を受賞した好ディフェンダーであり、2000年シドニーオリンピック金メダリスト。愛称は「ZO(ゾー)」。
経歴
[編集]ジョージタウン大学のスター選手として名をとどろかせた。1年先輩にディケンベ・ムトンボがいた。パトリック・ユーイングも大学の先輩にあたる。モーニングは同大学卒業後1992年のNBAドラフトでシャキール・オニールに次ぐ全体2番目でシャーロット・ホーネッツから指名されてNBA入りした。
ルーキー離れした活躍を見せ新人王候補にも残るが、オニールに敗れる。しかし、オールルーキーファーストチームに選出される。ホーネッツはラリー・ジョンソンとケンドール・ギルなど有能な選手が揃い、「フューチャーブルズ」(未来のシカゴ・ブルズ)と呼ばれるほど強豪チームになるのではないかと期待される。1994年バスケットボール世界選手権にドリームチームIIとして出場し優勝した。3年間ホーネッツでプレーした後、95-96シーズン開幕前にヒートに移籍した。
ヒートでは、パット・ライリーの指揮のもと強豪チームとなる。チームメイトのティム・ハーダウェイと何度も優勝のチャンスを掴むが、優勝を味わうことはなかった。1995-96シーズン、3月29日のワシントン・ウィザーズ戦でキャリアハイとなる50得点を記録した[1]。1998-99シーズンと99-00シーズンにはNBA最優秀守備選手賞を受賞した。2000年に開催されたシドニーオリンピックでアメリカ代表としてプレー。見事金メダルを獲得する。それからがモーニングの試練になるのであった。
オリンピックも終了し、帰国したモーニングに衝撃の事実が告げられる。モーニングは巣状糸球体硬化症(腎臓の疾患)を患っていた。選手生命にもかかわる事態となったが、モーニングは腎臓の移植手術を決断。シーズン終了前の13試合に出場するなど、鋼鉄の体を見せるが、プレーオフでは結果を残せず。続く01-02シーズン終了後モーニングは引退を発表した。
ところが、モーニングは引退から1年後にニュージャージー・ネッツと契約。だが、モーニングの状態はよくなく、12試合に出場したのみで再び引退。不死身といわれたモーニングも終わりだと思われた。
しかし、04-05シーズンにモーニングは再びNBAのコートに帰ってきた。シーズン開幕後はネッツでプレーしていたが、ヴィンス・カーターとのトレードでトロント・ラプターズに移籍、ラプターズではプレーせずに古巣のヒートに復帰した。
こうしてヒートに戻ってきたモーニングは、04-05シーズンに移籍したシャキール・オニールの控えセンターとして活躍し、オニールや新しいスター、ドウェイン・ウェイドらと共にNBAの頂点を目指し、2006年にはキャリアで初めての優勝を果たした。優勝が決まったNBAファイナル第6戦でモーニングは5ブロックと大暴れし、チームの優勝に大きく貢献した。
優勝した後のヒートは急速に衰え、翌06-07シーズンはプレイオフには進出したものの、1回戦でシカゴ・ブルズに全敗で敗退し、翌07-08シーズンもシーズン序盤から大きく負け越した。モーニングは開幕前からこのシーズンを最後に引退することを表明していたが、12月20日のアトランタ・ホークス戦で右ひざ脚蓋腱を断裂してしまい、シーズン中の復帰は絶望視されてしまう。シャキール・オニールらチームメイトに抱えながらコートを去る時、モーニングの口からは「It's over」という言葉が漏れたという。
その後モーニングは引退を表明し、08-09シーズン、3月30日のマジック戦、引退セレモニーが43分間にわたって行われた。同時に、現役時代の背番号「33」ヒートの所属選手で初のヒートの永久欠番となった。なお、本人曰く「師匠」であるパトリック・ユーイング(現シャーロット・ホーネッツアシスタントコーチ)が同席できるよう、このマジック戦のハーフタイムが選ばれたのだという。モーニングは大粒の涙を流し、現役生活に幕を下ろした。
2014年にバスケットボール殿堂入りを果たした[2]。
個人成績
[編集]略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
優勝シーズン | リーグリーダー |
NBA
[編集]レギュラーシーズン
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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1992–93 | CHA | 78 | 78 | 33.9 | .511 | .000 | .781 | 10.3 | 1.0 | .3 | 3.5 | 21.0 |
1993–94 | 60 | 59 | 33.6 | .505 | .000 | .762 | 10.2 | 1.4 | .5 | 3.1 | 21.5 | |
1994–95 | 77 | 77 | 38.2 | .519 | .324 | .761 | 9.9 | 1.4 | .6 | 2.9 | 21.3 | |
1995–96 | MIA | 70 | 70 | 38.2 | .523 | .300 | .685 | 10.4 | 2.3 | 1.0 | 2.7 | 23.2 |
1996–97 | 66 | 65 | 35.2 | .534 | .111 | .642 | 9.9 | 1.6 | .8 | 2.9 | 19.8 | |
1997–98 | 58 | 56 | 33.4 | .551 | --- | .665 | 9.6 | .9 | .7 | 2.2 | 19.2 | |
1998–99 | 46 | 46 | 38.1 | .511 | .000 | .652 | 11.0 | 1.6 | .7 | 3.9* | 20.1 | |
1999-00 | 79 | 78 | 34.8 | .551 | .000 | .711 | 9.5 | 1.6 | .5 | 3.7* | 21.7 | |
2000–01 | 13 | 3 | 23.5 | .518 | .000 | .564 | 7.8 | .9 | .3 | 2.4 | 13.6 | |
2001–02 | 75 | 74 | 32.7 | .516 | .333 | .657 | 8.4 | 1.2 | .4 | 2.5 | 15.7 | |
2003–04 | NJN | 12 | 0 | 17.9 | .465 | --- | .882 | 2.3 | .7 | .2 | .5 | 8.0 |
2004–05 | 18 | 14 | 25.4 | .453 | --- | .593 | 7.1 | .8 | .3 | 2.3 | 10.4 | |
MIA | 19 | 3 | 12.9 | .516 | --- | .564 | 3.7 | .2 | .2 | 1.7 | 5.0 | |
2005–06† | 65 | 20 | 20.0 | .597 | .000 | .594 | 5.5 | .2 | .2 | 2.7 | 7.8 | |
2006–07 | 77 | 43 | 20.4 | .560 | --- | .601 | 4.5 | .2 | .2 | 2.3 | 8.6 | |
2007–08 | 25 | 0 | 15.6 | .547 | --- | .592 | 3.7 | .3 | .2 | 1.7 | 6.0 | |
通算:15年 | 838 | 686 | 31.0 | .527 | .247 | .692 | 8.5 | 1.1 | .5 | 2.8 | 17.1 | |
オールスター | 4 | 1 | 18.8 | .545 | .000 | .667 | 4.8 | 1.0 | .8 | 2.0 | 10.0 |
プレーオフ
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | CHA | 9 | 9 | 40.8 | .480 | .000 | .774 | 9.9 | 1.4 | .7 | 3.4 | 23.8 |
1995 | 4 | 4 | 43.5 | .421 | .500 | .837 | 13.3 | 2.8 | .8 | 3.3 | 22.0 | |
1996 | MIA | 3 | 3 | 30.7 | .486 | --- | .714 | 6.0 | 1.3 | .7 | 1.0 | 18.0 |
1997 | 17 | 17 | 37.1 | .491 | .375 | .555 | 10.2 | 1.1 | .6 | 2.7 | 17.8 | |
1998 | 4 | 4 | 34.5 | .518 | --- | .655 | 8.5 | 1.3 | .8 | 2.5 | 19.3 | |
1999 | 5 | 5 | 38.8 | .521 | --- | .653 | 8.2 | .8 | 1.6 | 2.8 | 21.6 | |
2000 | 10 | 10 | 37.6 | .484 | .000 | .667 | 10.0 | 1.4 | .2 | 3.3 | 21.6 | |
2001 | 3 | 3 | 30.3 | .480 | --- | .579 | 5.3 | 1.0 | .0 | 1.7 | 11.7 | |
2005 | 15 | 2 | 16.9 | .705 | --- | .558 | 4.8 | .3 | .3 | 2.2 | 6.1 | |
2006† | 21 | 0 | 10.8 | .703 | --- | .667 | 2.9 | .1 | .2 | 1.1 | 3.8 | |
2007 | 4 | 0 | 13.8 | .909 | --- | .385 | 2.0 | .3 | .0 | .8 | 6.3 | |
出場:11回 | 95 | 57 | 27.3 | .512 | .368 | .649 | 7.0 | .9 | .5 | 2.3 | 13.6 |
タイトル・受賞
[編集]- NBA優勝:2006
- オールNBA1stチーム:1999
- オールNBA2ndチーム:2000
- 最優秀守備選手賞:1999, 2000
- オールディフェンシブ1stチーム:1999, 2000
- オールスター出場:1994, 1995, 1996, 1997, 2000, 2001, 2002
- ブロック王:1999(1試合平均3.91)
- オールルーキー1stチーム:1993
キャリアハイ記録
[編集]- 得点 : 50 (1996年3月29日、対ワシントン・ウィザーズ)[1]
- リバウンド : 22 (1993年3月1日、対ユタ・ジャズ、1993年4月16日、対デトロイト・ピストンズ、1996年1月19日、対シャーロット・ホーネッツ[1]
- アシスト : 7 (1996年12月6日、対ボストン・セルティックス[1]
- ブロックショット : 9 (2005年11月28日、対ニューヨーク・ニックス。他7回)[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Alonzo Mourning Career”. NBA. March 3, 2024閲覧。
- ^ “Naismith Memorial Basketball Hall of Fame Announces Class of 2014”. hoophall.com (2014年4月7日). 2015年9月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手
- シャーロット・ホーネッツの選手
- マイアミ・ヒートの選手
- ニュージャージー・ネッツの選手
- バスケットボール男子アメリカ合衆国代表選手
- オリンピックバスケットボールアメリカ合衆国代表選手
- バスケットボールのオリンピックメダリスト
- アメリカ合衆国のオリンピック金メダリスト
- FIBAバスケットボール・ワールドカップアメリカ合衆国代表選手
- 1994年バスケットボール世界選手権出場選手
- マクドナルド・オール・アメリカン選出選手
- NBAオールスターゲーム選出選手
- NBA永久欠番保持者
- バスケットボール殿堂
- FIBA殿堂
- アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手
- ジョージタウン大学出身のバスケットボール選手
- バージニア州チェサピーク出身の人物
- 1970年生
- 存命人物