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ラジャ・ベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラジャ・ベル
Raja Bell
フェニックス・サンズでのベル
(2007年)
引退
国籍 アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1976-09-19) 1976年9月19日(48歳)
出身地 アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
セント・クロイ島
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 95kg (209 lb)
キャリア情報
出身 フロリダ国際大学
NBAドラフト 1999年 / ドラフト外
プロ選手期間 1999年–2013年
ポジション SG
背番号歴 19, 11, 18
選手経歴
1999-2000
2001-2002
2002-2003
2003-2005
2005-2008
2008-2009
2009-2010
2010-2013
ヤカマ・サンキングス ヤカマ・サンキングス
フィラデルフィア・76ers フィラデルフィア・76ers
ダラス・マーベリックス ダラス・マーベリックス
ユタ・ジャズ ユタ・ジャズ
フェニックス・サンズ フェニックス・サンズ
シャーロット・ボブキャッツ シャーロット・ボブキャッツ
ゴールデンステート・ウォリアーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ
ユタ・ジャズ ユタ・ジャズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
フェニックス・サンズ時代のベル

ラジャ・ベルRaja Bell, 1976年9月19日 - )は、アメリカ領ヴァージン諸島の元プロバスケットボール選手アメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島出身。ポジションはシューティングガードアメリカ領ヴァージン諸島代表として国際大会への参加経験もある。

経歴

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1999年、北米の独立リーグであるCBAヤカマ・サンキングスから全体29位指名を受けた。1999-00シーズンをサンキングスでプレイし、その年のオールルーキーチームにも選出された。

2000年8月2日にサンアントニオ・スパーズとの契約に合意したが、シーズン開幕前に解雇された。その後、前年に所属したサンキングスと再び契約。2001年4月16日にフィラデルフィア・76ersとの10日間契約に合意し、NBA選手としてのキャリアをスタートさせた。2000-01シーズンの最後5試合でのプレイだったが、プレイオフでも23試合中15試合に短い時間ながらも出場した。特にイースタン・カンファレンス決勝のミルウォーキー・バックスとの第7戦でベルは2桁得点をあげてチームが勝利することに貢献した。NBAファイナルでも5試合全てに出場した。2001-02シーズンはシクサーズで74試合に出場、平均3.4得点でプレイオフでもボストン・セルティックスに敗れた5戦のうち、3戦に出場した。

2002年8月にはスペインリーグ1部リーガACBタウ・セラミカと契約したが9月に解雇された。その後、2002年10月1日にダラス・マーベリックスと契約すると、75試合中に出場した。その内、32試合で先発出場を果たした。平均15.6分出場、3.4得点を記録した。2002-03シーズンのプレイオフではカンファレンス決勝までの17試合に出場し、平均5.7得点、3.0リバウンドを記録した。

2003年9月26日にユタ・ジャズとの契約に合意した[1]。このシーズン、82試合全てに出場して、先発したのは4試合だったが、平均24.6分の出場で11.2得点、2.9リバウンド、1.3アシストを記録した。2004-05シーズンはさらに成績は上向き、63試合の出場に留まったが、平均12.3得点、3.2リバウンド、1.4アシストを記録した。

2005年8月3日にフェニックス・サンズとの契約に合意した[2]。これまではオフェンスよりもディフェンスで貢献する選手とされていたが、スティーブ・ナッシュによってシューターとしての才能を開花させると、79試合に先発出場して、37.5分出場、14.7得点をあげた。また、この年キャリア最高の3ポイントシュート成功率44.2%をマークした。オールスターゲームにおけるスリーポイントコンテストのメンバーに選ばれたが、家族の病気のため辞退、代わりにギルバート・アリーナスが出場した。プレイオフのロサンゼルス・クリッパーズ戦ではオーバータイムに3ポイントシュートを残りわずかのところで決めるなど、シリーズの勝利に貢献した。2006-07シーズンはランアンドガン主体のサンズにいながらNBAオールディフェンシブファーストチームに選出され、初の個人タイトルを受賞する。特に,74ものオフェンスファウルを誘った事は特筆に値する。個人スタッツは前シーズンとほぼ同じ水準を維持し、チームはリーグ2位の勝率でレギュラーシーズンを終えたが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルでサンアントニオ・スパーズに敗れた。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

NBA

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レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2000–01 PHI 5 0 6.0 .286 .333 .000 .2 .0 .2 .0 1.0
2001–02 74 12 12.0 .429 .273 .750 1.5 1.0 .3 .1 3.4
2002–03 DAL 75 32 15.6 .441 .412 .676 1.9 .8 .7 .1 3.1
2003–04 UTA 82 4 24.6 .409 .373 .786 2.9 1.3 .8 .2 11.2
2004–05 63 32 28.4 .454 .403 .747 3.2 1.4 .7 .1 12.3
2005–06 PHX 79 79 37.5 .457 .442 .788 3.2 2.6 1.0 .3 14.7
2006–07 78 78 37.4 .432 .413 .776 3.2 2.5 .6 .3 14.7
2007–08 75 75 35.3 .421 .401 .868 3.7 2.2 .7 .4 11.9
2008–09 22 22 32.4 .429 .468 .762 2.9 1.3 .6 .1 9.6
CHA 45 44 35.6 .440 .395 .877 4.0 2.5 .8 .1 13.0
2009–10 5 5 31.4 .436 .375 1.000 4.2 2.0 .8 .4 12.0
GSW 1 0 23.0 .667 1.000 .000 2.0 3.0 .0 .0 11.0
2010–11 UTA 68 63 30.8 .409 .352 .892 2.6 1.7 .8 .2 8.0
2011–12 34 33 23.4 .466 .391 .840 1.4 1.1 .4 .1 6.4
通算 706 479 28.1 .434 .406 .799 2.8 1.7 .7 .2 9.9

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2001 PHI 15 0 8.3 .444 .250 .571 .9 .5 1.0 .0 2.3
2002 3 0 2.7 .333 .000 .000 .3 .0 .0 .0 .7
2003 DAL 17 7 17.9 .548 .462 .550 3.0 1.6 .3 .0 5.7
2006 PHX 17 17 39.6 .479 .465 .829 2.8 2.2 .6 .2 13.6
2007 11 11 39.8 .460 .444 .857 3.0 1.8 .9 .2 10.2
2008 5 5 43.0 .568 .650 .813 5.6 2.2 .4 .2 13.6
通算 68 40 25.9 .492 .466 .743 2.6 1.5 .6 .1 8.0

代表歴

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2001年アルゼンチンネウケンで開催された2002年世界選手権のアメリカ大陸予選を兼ねたFIBAアメリカ選手権ヴァージン諸島代表の一員として参加。チームのエースとして7位入賞に貢献。

脚注

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  1. ^ Jazz Agree to terms with Bell”. NBA.com (2003年9月26日). 2009年1月19日閲覧。
  2. ^ Suns Sign Guard Raja Bell”. NBA.com (2005年8月3日). 2009年1月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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