克明親王
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克明親王 | |
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時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 延喜3年(903年) |
薨去 | 延長5年9月24日(927年10月22日) |
改名 | 将順 → 克明 |
官位 | 三品、兵部卿 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源封子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
妻 | 藤原時平女 |
子 | 源博雅、源正雅、源清雅、源助雅、妍子女王 |
克明親王(よしあきら/かつあきら しんのう)は、平安時代前期の皇族。初名は将順(まさのぶ)。醍醐天皇の第一皇子。官位は三品・兵部卿。
経歴
[編集]延喜4年(904年)親王宣下。延喜9年(909年)8月に父・醍醐天皇に対面する[1]。延喜10年(910年)正月には清涼殿東庭において拝儛をしているのが見える[2]。延喜11年(911年)他の兄弟とともに改名し、将順から克明となる。延喜16年(916年)清涼殿で元服し、三品に叙せられた。
弾正尹を務めたのち、延長5年(927年)4月に兵部卿に遷るが[3]、同年9月24日の丑刻に薨去。享年25。最終官位は兵部卿三品。
官歴
[編集]- 延喜4年(904年)11月17日:親王宣下[4]
- 延喜11年(911年) 11月28日:将順から克明に改名[4]
- 延喜16年(916年) 11月27日:元服、三品[4]
- 延長4年(926年) 6月5日:見弾正尹[5]
- 延長5年(927年)4月22日:兵部卿[6]。9月24日:薨去(兵部卿三品)[4]
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年