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安曇追分駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安曇追分駅[* 1]
駅舎(2021年8月)
あずみおいわけ
Azumi-Oiwake
31 有明 (1.5 km)
(2.9 km) 細野 29
地図
所在地 長野県安曇野市穂高北穂高[1]
北緯36度22分17.2秒 東経137度52分23.2秒 / 北緯36.371444度 東経137.873111度 / 36.371444; 137.873111座標: 北緯36度22分17.2秒 東経137度52分23.2秒 / 北緯36.371444度 東経137.873111度 / 36.371444; 137.873111
駅番号  30 [2]
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 大糸線
キロ程 19.9 km(松本起点)
電報略号 オケ[1]←ヲケ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線[1]
乗車人員
-統計年度-
259人/日(降車客含まず)
-2023年-
開業年月日 1915年大正4年)11月16日[3]
備考
  1. ^ 1919年にアルプス追分駅から改称[1]
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安曇追分駅
あずみおいわけ
AZUMI-OIWAKE
(1.5 km) 十日市
所在地
所属事業者 池田鉄道
所属路線 池田鉄道
キロ程 0.0 km(安曇追分起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1926年(大正15年)9月21日[4]
廃止年月日 1938年昭和13年)6月6日[5]
備考 路線廃止に伴う廃駅
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安曇追分駅(あずみおいわけえき)は、長野県安曇野市穂高北穂高にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線である[1]駅番号は「30[2]

市名は「あみ」だが、駅名は「あみ」と表記される(大町市安曇沓掛駅も同様である)。

歴史

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1915年大正4年)の開業当初はアルプス追分駅と名乗っていたが、北アルプスの登山口と間違えて下車する人が多く[6]、また本来の登山口である有明地区からの要望もあって[7]1919年に安曇追分駅に改称した[8](「信濃追分」は既に信越本線の駅として軽井沢町に所在したため、地域名を冠して「安曇追分」となったが、改称は安曇追分の方が早かった)。

追分」は千国街道池田通りと松川通りの分岐点の意味であり[9]、両者は大町市の大町宿付近で合流する。

1926年(大正15年)からは池田鉄道が当駅に乗り入れていたが[4]、1938年(昭和13年)には池田鉄道が廃止となっている[5]

年表

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駅構造

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島式ホーム1面2線を持つ地上駅[1]。駅舎とホームは構内踏切で連絡している[1]木造駅舎を有する。

豊科駅管理の簡易委託駅[1]安曇野市に駅業務が委託されている。

ホームの東側にホーム跡がある。

かつては池田鉄道が発着していたが痕跡はほとんどない。

のりば

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番線 路線 方向 行先
1 大糸線 上り 松本方面[17]
2 下り 信濃大町白馬方面[17]

利用状況

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JR東日本によると、2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員259人である[利用客数 1]

2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。

乗車人員推移
年度 1日平均
乗車人員
出典
2000年(平成12年) 330 [利用客数 2]
2001年(平成13年) 315 [利用客数 3]
2002年(平成14年) 314 [利用客数 4]
2003年(平成15年) 309 [利用客数 5]
2004年(平成16年) 306 [利用客数 6]
2005年(平成17年) 297 [利用客数 7]
2006年(平成18年) 339 [利用客数 8]
2007年(平成19年) 306 [利用客数 9]
2008年(平成20年) 309 [利用客数 10]
2009年(平成21年) 305 [利用客数 11]
2010年(平成22年) 316 [利用客数 12]
2011年(平成23年) 320 [利用客数 13]
2012年(平成24年) 310 [利用客数 14]
2013年(平成25年) 315 [利用客数 15]
2014年(平成26年) 290 [利用客数 16]
2015年(平成27年) 303 [利用客数 17]
2016年(平成28年) 306 [利用客数 18]
2017年(平成29年) 307 [利用客数 19]
2018年(平成30年) 306 [利用客数 20]
2019年(令和元年) 312 [利用客数 21]
2020年(令和02年) 273 [利用客数 22]
2021年(令和03年) 271 [利用客数 23]
2022年(令和04年) 266 [利用客数 24]
2023年(令和05年) 259 [利用客数 1]
一日平均乗車人員(単位:人/日)

駅周辺

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駅の西側には農地が広がり、出入口は設けられていない。東側の出入口は小さな広場と面しており、そこから国道147号までの短い街路は、かつては商店や宿が建て込んでいたが、近年ではほとんどが住宅となっており、営業している商店は少ない。

バス路線

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  • 安曇追分駅前停留所

国道沿いにあり池田町営バスあづみ病院穂高駅方面への路線が発着する。

隣の駅

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東日本旅客鉄道(JR東日本)
大糸線
快速(上り1本のみ運転)
有明駅 (31) ← 安曇追分駅 (30)信濃松川駅 (27)
普通
有明駅 (31) - 安曇追分駅 (30) - 細野駅 (29)

かつて存在した路線

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池田鉄道
安曇追分駅 - 十日市駅

脚注

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記事本文

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  1. ^ a b c d e f g h i j 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、103頁。ISBN 9784784071647 
  2. ^ a b 大糸線に「駅ナンバー」を導入します』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道長野支社、2016年12月7日。オリジナルの2016年12月8日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20161208081159/https://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/161207.pdf2016年12月8日閲覧 
  3. ^ a b c 『東筑摩郡松本市塩尻市誌 第三巻 現代下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会、1965年。
  4. ^ a b c 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年9月28日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1938年6月10日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 今尾恵介『消えた駅名』東京堂出版、162頁。ISBN 4-490-20530-9 
  7. ^ 小学館『国鉄全線各駅停車・6 中央・上信越440駅』(1983年刊)p.64 より
  8. ^ a b 「軽便鉄道停留場名改称」『官報』(第2090号)1919年7月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 1-3 島新田 葺の民家のある屋敷林」『安曇野の屋敷林』(PDF)屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト、2011年、12頁http://keikan-azumino.net/cms/wp-content/uploads/yashiki_hotaka.pdf#page=6  - 景観あづみの
  10. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、208頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  11. ^ 大町市史編纂委員会 『大町市史 第四巻 近代・現代』 大町市、1985年9月1日。
  12. ^ 「安曇追分駅類燒」『交通新聞』交通協力会、1957年4月2日、2面。
  13. ^ 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「大糸線・飯山線・篠ノ井線・越後線・弥彦線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第9号、朝日新聞出版、2009年9月6日、11頁。 
  14. ^ 大町市史編纂委員会 『大町市史 第五巻 民俗・観光』 大町市、1984年7月1日。
  15. ^ “「通報」大糸線安曇追分駅ほか1駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1985年9月13日) 
  16. ^ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
  17. ^ a b 時刻表 安曇追分駅”. 東日本旅客鉄道. 2019年8月19日閲覧。

利用状況

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関連項目

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外部リンク

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