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戸田氏秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸田 氏秀(とだ うじひで、明治15年(1882年1月6日 - 大正13年(1924年6月19日)は、日本の華族大河内輝声の四男で、大垣藩戸田家12代戸田氏共の婿養子。前名は輝耡。最初の妻は戸田氏共の次女・米子、2番目の妻は氏共の五女・富子。

略歴

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東京帝国大学卒業後、宮内省で東宮職主事、東宮職庶務課長、宮内事務官兼式部官を務めた。42歳で腸チフスのため死去。

家族

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  • 先妻:米子 - 戸田氏共伯爵、戸田極子の次女
  • 後妻:富子 - 戸田氏共の五女

栄典

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出典

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  1. ^ 「大垣藩主戸田家の第13代当主」大垣市栄誉市民
  2. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  3. ^ 『官報』第3428号「叙任及辞令」1924年1月30日。

参考文献

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  • 徳川元子『遠いうた』、文藝春秋(文春文庫)、2005年

外部リンク

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