池田宗泰
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池田宗泰 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 享保2年2月13日(1717年3月25日) |
死没 | 延享4年8月21日(1747年9月25日) |
改名 | 長吉(幼名)、勝五郎、宗泰 |
戒名 | 大廣院殿義山衍隆大居士 |
墓所 | 鳥取藩主池田家墓所 |
官位 | 従四位下・出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 因幡鳥取藩主 |
氏族 | 因州池田家 |
父母 | 父:池田吉泰、母:美那 |
兄弟 | 宗泰、亀姫 |
妻 | 桂香院 |
子 | 重寛 |
池田 宗泰(いけだ むねやす)は、因幡鳥取藩の第4代藩主。幼名を長吉、のち世嗣となり勝五郎と改める。官位は従四位下、出羽守。
生涯
[編集]鳥取城で生まれる。母は中村孫助の娘・美那。享保16年(1731年)、第8代将軍徳川吉宗(第2代藩主池田綱清の母方の従兄弟にあたる)の面前で元服、吉宗と父・吉泰より偏諱を賜り宗泰と名乗る。従四位下を叙任する。元文4年(1739年)、父・吉泰の死去に伴い家督を相続する。この年、因幡・伯耆両国で増税に反対した領民による大規模な一揆「元文一揆」が起こった。このため、藩主就任早々、倹約令を出し藩財政の立て直しを計った。寛保3年(1743年)、正室・久姫と婚姻する。延享4年(1747年)8月21日に死去した。享年31。家督を2歳の長男・勝五郎(のちの重寛)が継いだ。法号は大廣院殿義山衍隆大居士。墓地は鳥取藩主池田家墓所。菩提寺は龍峯山興禅寺。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)