猪熊幸夫
猪熊 幸夫(いのくま ゆきお、1920年1月2日[1] - )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。警察予備隊(のちに陸上自衛隊)所属。1952年ヘルシンキオリンピックに初の日本代表射撃選手として出場、1956年メルボルン・1960年ローマ大会にも連続出場した。またアジア競技大会2大会に出場。スモール・ボア・ライフル伏射種目で、1958年東京アジア大会では金メダルを獲得、1960年ローマオリンピックで6位入賞を果たした。
経歴
[編集]三重県出身[1][2]。明治大学卒業[3]。明治大学体育会射撃部は大学射撃部としては最古の歴史を持つとされ、第二次世界大戦後には師尾源蔵(日本ライフル射撃協会創設者)をはじめ平尾真、安齋實、岡田伝三、石崎育造といったOBらの努力によって射撃部の活動が再開されていた[4]。
1952年ヘルシンキオリンピックに出場(所属は警察予備隊[3])、スモール・ボア・ライフル伏射[注釈 1]で17位[5][注釈 2]。オリンピックでは第1回大会から射撃競技が設けられているが、日本の射撃競技参加はこれが最初であった。猪熊はこの大会で日本から出場した射撃競技唯一の選手であった(コーチとして安齋實が同行した)[6]。
1954年アジア競技大会(マニラ)では、50mライフル伏射・50mライフル3姿勢・300mライフル3姿勢の3種目[注釈 3]に出場。
1956年メルボルンオリンピックでは、スモール・ボア・ライフル3姿勢とスモール・ボア・ライフル伏射の2種目[注釈 4]に出場(所属は自衛隊富士学校[7])。
1958年アジア競技大会(東京)では、50mライフル伏射[注釈 5]で金メダル。
1960年ローマオリンピックにも出場(所属は防衛庁[8])。スモール・ボア・ライフル伏射[注釈 6]で6位入賞を果たした[5][6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「スモール・ボア・ライフル伏射」はJOCで用いられている種目名。ISSFのカテゴリでは、50m Free Rifle 40 shots prone - (FR40PR)。
- ^ 日本ライフル射撃協会は、ライフル伏射種目で参加人員139名中31位と記す[6]。
- ^ ISSFのカテゴリではそれぞれ、50m Free Rifle 40 shots prone - (FR40PR)、50m Rifle 3 Positions Men (FR3X40)、300m Rifle 3 Positions Men (300FR3X40)。
- ^ ISSFのカテゴリではそれぞれ、50m Rifle 3 Positions Men (FR3X40)、50m Rifle Prone Men (FR60PR)。
- ^ ISSFのカテゴリでは、50m Rifle Prone Men (FR60PR)。
- ^ JOCは種目名を「スモール・ボア・ライフル伏射」とする。ISSFのカテゴリでは、50m Rifle Prone Men (FR60PR)。日本ライフル射撃協会はこの種目を「スモールボアライフル伏射60発」とする。
出典
[編集]- ^ a b c “Yukio Inokuma”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
- ^ 『三重県スポーツ推進計画』三重県、2015年、40頁 。
- ^ a b 束原文郎 2013, p. 264.
- ^ “明大射撃部略史”. 明治大学射撃部. 2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c “Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。
- ^ a b c “オリンピック参加史”. 日本ライフル射撃協会. 2021年5月1日閲覧。
- ^ 束原文郎 2013, p. 266.
- ^ 束原文郎 2013, p. 268.
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Yukio INOKUMA - ISSF
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「猪熊、幸夫」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)