金湊仁三郎
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金湊 仁三郎 (かねみなと にさぶろう、 1908年8月18日 - 1979年11月23日)は、現在の千葉県船橋市金杉町[1][2]出身で湊川部屋に所属した大相撲力士。本名は石井 仁三郎。身長164cm、体重86kg。最高位は東前頭5枚目。1940年1月場所のみ金湊利三郎を名乗った[3][信頼性要検証]。
経歴
[編集]1927年1月場所に初土俵を踏む。1931年5月、双葉山定次とともに新十両を果たし、2場所連続して双葉山を破る。春秋園事件で一度は脱退するが、1933年1月に十両格別席で復帰、1934年5月場所に新入幕を果たした。
小兵ながら動きの早い相撲で、若手をいじめることが多く、「追いはぎ」とあだ名されている。大きな出羽ヶ嶽文治郎に初顔から連勝したり、新入幕の羽黒山政司に初日に土をつけたり、1939年1月には双葉山の連勝を止めた安藝ノ海節男を終盤に破って負け越しを味わわせたりと、大物食いで名をはせた[4]。
1943年1月、幕下に落ちたところで引退、年寄二十山を襲名したが、1968年に廃業した。年寄在任中は一時期時津風部屋付きであった[5]。
幕内通算成績は11場所 61勝84敗。
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1927年 (昭和2年) |
(前相撲) | 序ノ口 1–0 |
東序ノ口14枚目 4–2 |
西序ノ口2枚目 4–2 |
||
1928年 (昭和3年) |
西序二段26枚目 5–1 |
東序二段18枚目 4–2 |
西三段目36枚目 3–2 1分 |
西三段目36枚目 5–1 |
||
1929年 (昭和4年) |
東幕下34枚目 4–2 |
東幕下34枚目 4–2 |
東幕下14枚目 3–3 |
東幕下14枚目 2–4 |
||
1930年 (昭和5年) |
西幕下26枚目 3–3 |
西幕下26枚目 3–3 |
西幕下28枚目 4–2 |
西幕下28枚目 5–1 |
||
1931年 (昭和6年) |
西幕下9枚目 5–1 |
西幕下9枚目 4–2 |
西十両8枚目 6–5 |
西十両8枚目 優勝 8–3 |
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1932年 (昭和7年) |
東十両2枚目 – 脱退 |
x | x | x | ||
1933年 (昭和8年) |
十両 8–3 |
x | 西十両3枚目 6–5 |
x | ||
1934年 (昭和9年) |
東十両2枚目 6–5 |
x | 西前頭16枚目 4–7 |
x | ||
1935年 (昭和10年) |
東十両3枚目 6–5 |
x | 西十両筆頭 8–3 |
x | ||
1936年 (昭和11年) |
東前頭11枚目 5–6 |
x | 東前頭14枚目 5–6 |
x | ||
1937年 (昭和12年) |
東十両筆頭 7–4 |
x | 東前頭14枚目 7–6 |
x | ||
1938年 (昭和13年) |
東前頭7枚目 6–7 |
x | 西前頭12枚目 6–7 |
x | ||
1939年 (昭和14年) |
西前頭15枚目 7–6 |
x | 西前頭13枚目 8–7 |
x | ||
1940年 (昭和15年) |
東前頭5枚目 5–10 |
x | 東前頭9枚目 3–12 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
西前頭19枚目 5–10 |
x | 西十両筆頭 6–9 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
東十両7枚目 5–10 |
x | 東十両12枚目 1–14 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
西幕下13枚目 引退 0–0–8 |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
出典
[編集]- ^ “大相撲展「船橋を背負った勇者達」 - 船橋市図書館”. 船橋市図書館. 2020年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月1日閲覧。
- ^ “千葉県出身の幕内力士”. 千葉県ホームページ. 2020年2月29日閲覧。
- ^ Sumo Reference
- ^ 浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その5〜 おすもうさん 2021年8月10日 (2023年2月27日閲覧)
- ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39