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[[File:Takeshi Tsuhara.jpg|thumb|200px|津原武]] |
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|氏名 = 津原 武 |
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|ふりがな = つはら たけし |
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1868年11月22日(明治元年10月9日)、[[因幡国]][[鳥取市|鳥取]]に生まれた。[[関西法律学校]]、[[明治法律学校]]、[[和仏法律学校]](現・[[法政大学]])で学び、[[京都府]][[与謝郡]][[宮津町]](現・[[宮津市]])で[[弁護士]]を開業した。 |
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[[与謝郡]]会議員・議長、[[宮津町]]長、[[京都府議会|京都府会]]議員などを経て、1915年([[大正]]4年)に[[第12回衆議院議員総選挙]]に当選した。[[民政党]]に所属して5回の当選を果たしている。 |
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また、加悦鉄道社長、宮津銀行・[[橋北汽船]]などの役員、丹後縮緬工業組合理事長などを歴任した。 |
また、[[加悦鉄道]]社長、宮津銀行・[[橋北汽船]]などの役員、[[丹後織物工業組合|丹後縮緬工業組合]]理事長などを歴任した。 |
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1953年(昭和28年)5月20日に死去、84歳。 |
1953年(昭和28年)5月20日に死去、84歳。 |
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== 顕彰碑 == |
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[[宮津市]]の[[真照寺 (宮津市)|真照寺]]に「丹後織物中興の祖」と追尊して、[[顕彰碑]]が建立されている。 |
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== 脚注 == |
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*[http://www.silk.pref.kyoto.jp/oriki/orimonoshifuukei/tango19.html 京都府織物・機械金属振興センター |
* [http://www.silk.pref.kyoto.jp/oriki/orimonoshifuukei/tango19.html 丹後織物史の風景(19)] 京都府織物・機械金属振興センター |
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{{衆議院決算委員長}} |
{{衆議院決算委員長}} |
2024年10月20日 (日) 13:04時点における最新版
つはら たけし 津原 武 | |
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生誕 |
1868年11月22日 因幡国鳥取 (現・鳥取県鳥取市) |
死没 | 1953年5月20日(84歳) |
国籍 | 日本 |
職業 | 弁護士・実業家・政治家 |
津原 武(つはら たけし、1868年11月22日(明治元年10月9日[1]) - 1953年(昭和28年)5月20日)は、日本の弁護士・実業家・政治家。衆議院議員、加悦鉄道社長、宮津銀行監査役、丹後縮緬工業組合理事長。
経歴
[編集]1868年11月22日(明治元年10月9日)、因幡国鳥取に生まれた。関西法律学校、明治法律学校、和仏法律学校(現・法政大学)で学び、京都府与謝郡宮津町(現・宮津市)で弁護士を開業した。
与謝郡会議員・議長、宮津町長、京都府会議員などを経て、1915年(大正4年)に第12回衆議院議員総選挙に当選した。民政党に所属して5回の当選を果たしている。
また、加悦鉄道社長、宮津銀行・橋北汽船などの役員、丹後縮緬工業組合理事長などを歴任した。
1953年(昭和28年)5月20日に死去、84歳。
共著
[編集]- 『日本立法資料全集 別巻389 佛國人事法講義』(再版)(信山社、2006)
顕彰碑
[編集]宮津市の真照寺に「丹後織物中興の祖」と追尊して、顕彰碑が建立されている。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、4頁。
参考文献
[編集]- 『衆議院議員略歴』衆議院事務局、1937年
外部リンク
[編集]- 近世・近代における郷土の先覚者 京丹後市
- 丹後織物史の風景(19) 京都府織物・機械金属振興センター
- 津原武 コトバンク