楯兼次郎
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楯 兼次郎 たて かねじろう | |
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生年月日 | 1913年5月23日 |
出生地 | 岐阜県中津川市 |
没年月日 | 1989年9月11日(76歳没) |
出身校 | 名古屋鉄道教習所 |
所属政党 |
(左派社会党→) 日本社会党 |
称号 | 勲一等旭日大綬章 |
選挙区 | 旧岐阜2区 |
当選回数 | 12回 |
在任期間 | 1952年10月1日 - 1983年11月28日 |
楯 兼次郎(たて かねじろう、1913年5月23日 - 1989年9月11日)は、日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(12期)。
来歴・人物
[編集]岐阜県中津川市出身。名古屋鉄道教習所卒業[1]。国鉄労働組合名古屋地方本部執行委員長、全日本交通運輸労組中部地方協議会議長などを歴任し、1952年10月の衆議院議員選挙に左派社会党から出馬し初当選。社会主義協会系の三月会に所属(当選12回)。
1955年10月に左右に分裂していた日本社会党が統一され、1970年成田知巳委員長の下で党国会対策委員長に就任。1975年国対委員長を退任(後任は平林剛)。1983年の総選挙には出馬せず、引退。地盤を山下八洲夫に譲った。1984年、勲一等旭日大綬章受章[1]。
1989年9月11日死去。76歳没。
脚注
[編集]- ^ a b “楯 兼次郎(タテ カネジロウ)”. コトバンク. 2019年2月10日閲覧。
議会 | ||
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先代 芳賀貢 |
衆議院決算委員長 1977年 - 1978年 |
次代 加藤清二 |
先代 中山栄一 |
衆議院災害対策特別委員長 | 次代 日野吉夫 |
党職 | ||
先代 柳田秀一 |
日本社会党国会対策委員長 第10代 : 1970年 - 1975年 |
次代 平林剛 |