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高橋寿太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋寿太郎
たかはし じゅたろう
生年月日 1879年1月15日
出生地 日本の旗 日本 岩手県上閉伊郡千徳村
(現・岩手県宮古市
没年月日 (1945-04-08) 1945年4月8日(66歳没)
出身校 海軍大学校卒業
前職 海軍軍人
所属政党立憲民政党→)
国民同盟→)
立憲民政党
称号 従四位
勲二等

選挙区 (岩手県第1区→)
(岩手県第2区→)
岩手県第1区
当選回数 4回
在任期間 1930年 - 1936年1月21日
1937年 - 1945年4月8日

在任期間 1938年1月31日 - 1942年4月15日
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高橋 寿太郎(たかはし じゅたろう、1879年明治12年)1月15日[1] - 1945年昭和20年)4月8日[2][3][4])は、日本海軍軍人。階級は海軍少将衆議院議員立憲民政党国民同盟→立憲民政党)。位階従四位[3]勲等は勲二等[3]

経歴

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岩手県上閉伊郡千徳村(現在の宮古市)生まれ[3]東北学院を経て、1900年(明治33年)に海軍兵学校を卒業した[5]日露戦争の際には戦艦「富士」の乗組員として旅順港閉塞作戦日本海海戦などに参加した[5]1912年(明治45年)、海軍大学校を卒業し、軍令部参謀、海軍大学校教授を歴任した[5]第一次世界大戦では青島の戦い第二艦隊参謀を務めた[5]。その後、海軍大学校教頭、海軍砲術学校校長、第一水雷戦隊司令官などを歴任した[5]。しかし海軍大演習で作戦をめぐって上層部と対立し、1927年(昭和2年)に予備役編入となった[6]。退官後は中央大学法学を学んだ[5]

1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、合計で4回当選を果たした[3][注釈 1]。また、1938年(昭和13年)1月31日から1942年(昭和17年)4月15日まで岩手県下閉伊郡田老村(現在の宮古市)の村長も務めた[7]

1945年4月8日、議員在職中に死去した[4]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 17、18、20,21の各回総選挙で当選

出典

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  1. ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、21頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ a b c d e 国会大鑑 衆議院篇 133コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 官報 1945年04月27日 6コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c d e f 『岩手県名士肖像録』p.21
  6. ^ 『国民同盟陣営展望』pp.153-154
  7. ^ 田老生誕100周年記念誌 63コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『官報』第5628号「叙任及辞令」1902年4月12日。
  9. ^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」1903年12月21日。
  10. ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
  11. ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。

参考文献

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  • 『御大典記念 岩手県名士肖像録』岩手県名士肖像録刊行会、1930年。 
  • 森岩吉『国民同盟陣営展望』政界評論社、1934年。 
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和17年11月』衆議院事務局、1942年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。