子日 (初代神風型駆逐艦)
表示
艦歴 | |
---|---|
計画 | 1904年度[1] |
起工 | 1905年6月25日[1] |
進水 | 1905年8月30日[1] |
就役 | 1905年10月1日[1] |
その後 | 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1924年12月1日掃海艇編入[1] 1928年7月6日廃駆逐艦第13号と仮称[1] |
除籍 | 1928年4月1日[1] |
廃船 | 1929年1月31日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
子日(ねのひ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の20番艦である。同名艦に初春型駆逐艦の「子日」があるため、こちらは「子日 (初代)」や「子日I」などと表記される。
艦歴
[編集]1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第20号)[2]。同年6月25日、呉海軍工廠で起工[3]。同年8月30日、進水[3]。同日附で駆逐艦に類別[4]。同年10月1日、竣工[3]。
第一次世界大戦では、青島の戦いに参加[1]。シベリア出兵時には沿海州の沿岸警備を行った[1]。
1924年(大正13年)12月1日、掃海艇に編入[5]。1928年(昭和3年)4月1日、除籍[6]。同年7月6日、廃駆逐艦第13号と仮称。1929年(昭和4年)1月31日、廃船。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 鈴木氏正 少佐:1905年12月12日 - 1906年9月13日
- 田中吉太郎 大尉:1906年9月13日 - 1907年2月9日
- 有田秀通 大尉:1907年2月9日 - 9月3日
- 副島慶一 大尉:1907年9月3日 - 1908年7月11日
- (兼)武富咸一 大尉:1908年7月11日 - 9月25日
- 佐川英夫 大尉:1908年9月25日 - 1911年5月23日
- 大島衛義 大尉:1911年5月23日 - 1911年12月1日
- 伊東真三郎 少佐:1911年12月1日 - 1914年5月27日
- 黒田勇吉 少佐:1914年5月27日 - 1915年5月26日[7]
- 増田重義 大尉:1915年5月26日[7] - 1915年12月13日
- 森繁二 大尉:1915年12月13日 - 1916年12月1日
- 染河啓三 大尉:1916年12月1日 - 1918年6月1日[8]
- 吉田健介 大尉:1918年6月1日[8] - 1919年12月1日[9]
- 島村綱雄 大尉:1919年12月1日[9] - 1920年12月1日[10]
- 大井吉郎 大尉:1920年12月1日[10] - 1921年9月6日[11]
- 山本正夫 大尉:1921年9月6日[11] - 1923年11月10日[12]
- 井原美岐雄 大尉:1923年11月10日[12] -
- 掃海艇長
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、292-293頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
- ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.567『子日|掃海艇|(要目略)|呉工廠|38-6-25|38-8-30|38-10-1|(武装略)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.52『明治三十八年八月三〇日(達一一八)軍艦及水雷艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「彌生」ノ次ニ「子日」ヲ加フ』
- ^ #達大正13年12月p.1『達第百三十七號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪|軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ潜水母艦ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル|掃海艇ノ欄内「第六號」ノ次ニ「夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、潮、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ加フ|水雷艇ノ欄ヲ削ル|備考第三號ヲ左ノ通改ム 掃海艇ヲ呼稱スルニハ「掃海艇何」ヲ以テス但シ番号ヲ附スルモノハ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」等ト稱ス 備考第四號ヲ削リ第五號ヲ第四號トス』
- ^ #除籍駆逐艦(2)pp.46-48『舊子日(千噸以下)(略)(大正一三.一二.一驅逐艦子日掃海艇籍ニ入ル昭和三年四月一日掃海艇籍ヨリ除カル)』
- ^ a b 「海軍辞令公報 大正4年5月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071200
- ^ a b 『官報』第1749号、大正7年6月3日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2731号、大正10年9月7日。
- ^ a b 『官報』第3368号、大正12年11月13日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
参考文献
[編集]- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。