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第百一号型掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第百一号型掃海艇
第百二号掃海艇
艦級概観
艦種 掃海艇
艦名
前級
次級
要目(竣工時)
排水量 公試:678トン
全長 54.86m
全幅 4.72m
吃水 2.54m
機関 ホ号艦本式缶重油専焼)2基
六型レシプロ機関2基
2軸 1,976馬力
速力 15.7ノット
航続距離 15.7ノットで1,900海里
燃料 重油
乗員
兵装 四〇口径三年式八糎高角砲1基
(その後12cm高角砲に換装)
25mm機銃連装2基
(後に25mm単装機銃を増備)
94式爆雷投射機1基
爆雷36個
単艦式掃海具(イギリス製)1組
対艦式掃海具2組
レーダー 一号三型電探1基(後日装備)
ソナー (一部イギリス製)
同型艇 2隻

第百一号型掃海艇(だいひゃくいちごうがたそうかいてい)は日本海軍の捕獲掃海艇。同型艇2隻。

概要

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本艦型は、太平洋戦争開戦時に香港で建造中だったイギリス海軍用のバンゴール級掃海艇英語版の2隻、「タイタム」と「ワグラン」を日本側が接収して完成させたものである。日本側の接収時には船殻工事がそれぞれ60%と30%終了した段階であった。工事に必要な資材は現地で調達したが、機関と兵装のほとんどは日本から送付した。船首楼を短くするなど一部設計を変更している。

竣工後は船団護衛に従事、101号は1945年に南シナ海で戦没。102号は終戦時残存、イギリスに引き渡された後、解体された。

なお、日本陸軍も香港地区で未完成のバンゴール級掃海艇を接収し、「暁辰丸」として完成させ、哨戒任務に使用している[1]

同型艇

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  • 第百一号掃海艇
    • 1943年(昭和18年)2~3月に進水
    • 1944年(昭和19年)4月10日竣工。日本海軍籍に編入、横須賀鎮守府籍。第2南遣艦隊第21特別根拠地隊に編入する。
    • 主に南西方面での船団護衛に従事。
    • 1945年(昭和20年)1月12日、仏印南部で米艦載機の攻撃を受け沈没。3月10日除籍。
  • 第百二号掃海艇
    • 1943年(昭和18年)2~3月に進水
    • 1944年(昭和19年)9月28日竣工。日本海軍籍に編入、横須賀鎮守府籍。第2遣支艦隊に編入する。
    • 主に東シナ海方面で船団護衛に従事。
    • 大湊付近で終戦を迎える。
    • 1945年(昭和20年)11月30日除籍
      • 12月1日、大湊地方復員局所管の掃海艦に指定[2]され、掃海に従事。
      • 12月20日、艦名を「掃第百二号」と改称[3]
    • 1946年(昭和21年)9月1日、特別輸送艦に指定[4]
    • 1947年(昭和22年)11月20日イギリスに引き渡し。浦賀船渠で解体。

脚注

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  1. ^ 福井静夫『日本特設艦船物語』光人社〈福井静夫著作集〉、2001年、273頁。 
  2. ^ 昭和20年12月1日 第二復員省 内令第5号。
  3. ^ 昭和20年12月20日付 第二復員省 内令第12号。
  4. ^ 昭和21年9月1日付 復員庁第二復員局 復二第210号。

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0463-6